円覚寺跡
えんかくじあと
円覚寺は琉球黄金時代(1492)に国王・尚真王(しょうしんおう)によって開基された臨済宗の寺院である、琉球王国における臨済宗の総本山であった跡地である。円覚寺は昭和20年(1945)の沖縄戦争で放生橋を残して焼失された。昭和47年(1972)に国指定史跡をうけた。開基:資金提供者
琉球王国で臨済宗総本山だった円覚寺。日本では室町時代に建築された寺院であり、本堂などの伽藍は写真右手の空間にあったが沖縄戦争で焼失して立ち入りできなく、唯一見学できるのが本堂前の放生橋のみとなる。
放生橋は1498年に築造されたことが判明している。寺院に放生池が造られることがあり、仏教の世界では捕獲した魚類などを放し慈悲行の表れを意味している。
放生橋は中国様式の石橋であり、橋の側面を意味する勾欄(こうらん)には牡丹、鶴、亀などが彫られた勾欄羽目石となり、柱の上部には獅子が彫られている。
獅子を拡大。この1体以外は破損している。
なお園内には立ち入ることはできず、右手の柵付近から眺める見学となる。
向かいには弁財天堂に架けられた天女橋がみられる。
この天女橋も円覚寺が創建された琉球時代(1502)に建築されたもので、日本に現存する最古の石橋型アーチ橋である。
○ | 中国様式の放生橋に美しい彫刻が施されている。 |
× | 近づいて石橋をみられないため、彫刻を楽しむためには望遠レンズやスマホでの望遠撮影などになってしまう。 |