飛鳥時代末期(701年)に、僧侶・行基が小寺を建てたのが創始と伝えられる。鎌倉時代には足利尊氏の従兄弟が住職。庭園は江戸時代初期といわれ、冨賀寺は客殿西庭園、弁財天庭園、水神庭園の3つで1つの庭園をなす「三囿一連(さんゆういちれん)」の庭となる。囿:中国の古語で「庭」という意味。
静岡で最も感動的だった冨賀寺庭園。規模は大きくないが江戸時代としては傑作庭園で、3つの庭園で1つの庭園をなす「三囿一連(さんゆういちれん)」の庭となっている。写真の客殿西庭園は3つめの庭園であるが、ここが最も見応えある。
客殿西庭園の主景は北部築山の滝石組である。滝石組の上段には巨石の立石が据えられ、築山には集団石組がみられる。
滝石組を正面から捉える。解説によると、鯉魚石(りぎょせき)がみられることより龍門瀑とのことであるが、鯉魚石がどの石に相当するか私には分からなかった。なお龍門瀑、鯉魚石は日本最高峰の龍門瀑と称される天龍寺 曹源池庭園の記事を参考にして欲しい。
池泉南部に目線を移動させると、こちらにも滝石組がある。こちらは枯滝石組である。主景の滝石組よりも小規模であるが、品格を感じさせる枯滝石組である。築山には石橋が架けられ、右下には具象的な亀島が配置されている。また解説によると、亀島の左にみえる岩島は蓬莱岩島であり、立石ではなく横石で表現しているのは希少とのこと。
亀島をクローズアップ。亀頭石、亀甲石、亀脚石が全てが写実的な表現であり、今にも動き出しそうなリアルさだ。亀島は江戸末期に手が加えられたとされる。
再び枯滝石組に注目。三段落としの滝組であり、矢印の先にある水落石(みずおちいし)に注目して欲しい。水落石:水を落とす部分に据える石であり鏡石とも呼ばれる。
水落石のヒダは、滝の流れを絶妙に表現している写実性ある名石である。
客殿西庭園の北部から庭園を眺める。北に向かって高くなっており、この方向からみると滝石組の手前には流れがあり、滝下部で合流していることが分かる。また写真左側に飛び石による苑路があり、滝口まで繋がっている。これは滝を間近で眺めらるように造られたものである。
客殿西庭園の北側にある弁財天庭園に移動する。こちらは「三囿一連(さんゆういちれん)」の庭の中間に位置する庭園で、鎌倉時代に築堤された溜池に、江戸初期(1640年頃)に弁財天を祀る蓬莱島が造られた。四角い池に円形の島を設けた方池円島式庭園であり、平成27年(2015)に修復されている。
蓬莱島には、亀石が組まれている、また方池北東部(写真左手)には石組がみられる。近づいて撮影してみると。。。
このような護岸石組であり、滝石組の位相となっている。蓬莱島からズームレンズで撮影しないと詳細は分かりにくいが、見応えある石組である。
弁財天庭園の更に北部にある水神庭園に移動する。こちらも弁財天庭園同様に方池円島式庭園である。護摩堂や本堂の近くにあり、「三囿一連(さんゆういちれん)」の最上段に位置する。池中央の円島は水神を背負う大亀を表現している。
平成25年に廃荒していた護岸石組を修復し、翌年に方池の東西に玉龍(ぎょくりゅう)、築山を整備して庭園らしさを取り戻した。庭園書籍などでは紹介されていない庭園であるが、歴史と品格を併せもつ名園である。
冨賀寺の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 3つの庭園でひとつの庭園となす希有な構成であり、特に客殿西側の池泉式庭園の枯滝石組は小規模ながら実に美しい。また、園内に詳しい庭園解説があり理解が深まるのも嬉しい配慮である。 |
× | 特に見あたらない。 |