明治12年(1879)に京都の豊国神社(とよくに)大阪別社として大阪城二ノ丸に創建。大正10年(1921)に豊国神社(ほうこく)に改称される。昭和47年(1972)にモダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲(しげもりみれい)により石庭「秀石庭」が作庭される。
豊臣秀吉ゆかりの大阪城は、国内外から多くの観光客が集まるエリアであるが、大阪城内にある豊国神社に立ち寄る人は少ない。さらに本殿南側にある石庭「秀石庭」は事前予約が必要なため、この付近には誰もいなかった。
秀石庭は七五三石組(七五三の庭)であり、順に3組、5組、7組の石組で構成されている。これは古来から奇数は陽の数として生命の永住性を示す縁起が良い数字とされ、室町時代以降このような手法が使われている。代表例では京都の龍安寺があげられる。
2列目の3石と、3列目の6石(2~7)を眺める、奥の3石が三尊石組であり蓬莱山を表現している。いずれも巨石の立石であり、これほどの巨石による七五三石組は秀石庭ぐらいだろう。蓬莱山:不老不死の仙人が住むとされる。
古来神社には社殿はなく、石に神が宿り信仰対象となった石「磐座(いわくら)」を崇(あが)めていた。このような経緯を踏まえ重森三玲によって石庭が造られた。磐座による鶴亀石組がみられる倉敷の阿智神社を訪問すると、磐座・磐境について理解が深まるだろう。
築山で出島、白砂で大海を見立てている。
豊臣秀吉の馬印であった「千成瓢箪(せんなりひょうたん)」にちなんで、秀石庭には瓢箪(ひょうたん)デザインがいろいろ隠れています。まずは写真右下の築山。馬印:大将の所在を示すために用いられた目印
石庭東部から本殿を望む。
観賞用石舞台にも、いくつものひょうたんが描かれている。分かりやすいように、その1つに赤マーカを記している。
さらに驚くことに地割模様がひょうたんにもなっていることに気づく。googleマップの航空写真でみてみると更によく分かる。
秀石庭は事前予約(私は三日前に電話連絡)により、訪問時間にあわせてゲートの鍵を事前に空けておいてくれる。ただ、塀が低いためゲートの外からでも観賞できる。
○ | 磐座による七五三石組は大迫力で、重森三玲晩年の意欲的な作品を間近で愉しめる。 |
× | 特に見あたらない。 |