本石橋邸
ほんいしばしてい
石橋家は木綿の集荷を中心とした荷宿を営んだ、江戸後期から昭和初期にかけての実業家。本石橋邸は江戸時代に建築され、奥座敷の東西に二つある「そうのにわ(前庭)」と「ぎょうのにわ(後庭)」は明治時代に作庭されたものである。
奥座敷から西方向にある「ぎょうのにわ」を額縁庭園で撮影。ガイドさんの説明によれば、江戸時代は上級武士でないと庭を持てないため、実業家であった石橋邸に庭園が造られたのは、奥座敷が造られた江戸時代ではなく、明治時代になってからとのこと。
当主の石橋家は石好きであり、奥座敷には明治から大正時代にコレクションした石の名前が額縁に記載されいる。こちらの菱形の踏み石が印象的であった。
ちなみに「ぎょうのにわ」とは、書道の「真・行・草」から来ている。「真」は基本形、「行」は基本形に異なるものを取り入れ、「草」は型破りなものである。延段では「真の延段」は切石だけのもの、「行の延段」が切石と自然石をミックスしたもの、「草の延段」は自然石だけのものを表す。「ぎょうのにわ」は切石と自然石をミックスしているため、このように名付けられている。
こちらの庭園は出雲流庭園でありガイドさんの説明によれば、出雲流庭園では起伏を作らず、石で山、飛石で川を模しているとのこと。
続いて、奥座敷の東側にある「そうのにわ」を見学。
こちらは自然石だけを利用しており、たしかに「そう(草)のにわ」と呼ぶに相応しい。左奥には茶室があり見学させていただいた。
三畳中板の茶室からの眺め。ちなみに写真では障子で見きれているが、背の高い手水鉢があり、これは侍が出入りしていた証拠であるとのこと。
奥座敷は松江藩主の接待所として作られたものであり、建物自体は国登録有形文化財に指定されている。
○ | コンパクトな敷地に石と木が高密度で配置されているため、額縁で切り取られたような庭園を楽しめる。またガイドによる丁寧な解説があるのも嬉しい。 |
× | 特に見当たらない。 |