宝寿院
ほうじゅいん
真言宗の宝寿院は。奈良時代の僧侶・行基(ぎょうき)によって開山。鎌倉末期に日本初の作庭家ともいわれる禅僧・夢窓疎石が9歳から18歳まで修行し、庭園は夢想疎石が作庭したと伝わる。
日本初の作庭家ともいわれる禅僧・夢窓疎石(むそう そせき)による庭園。最高の僧侶に贈られる「国師」をもつことより夢窓国師とも呼ばれ、山梨県では甲州市の恵林寺と、ここ宝寿院だけである。宝寿院は観光寺院ではないため、地元以外では知られていない。
庭園は長寿を願った鶴亀庭園になっており、現在では池泉の水が涸れている、写真は亀島であり、★マークの石が亀頭石だろう。
亀島の右手には鶴島があり、長寿のシンボルである松が植樹されている。鎌倉時代に作庭された庭園としては、石に丸みを帯びていて柔らかなイメージを感じさせる。
枯滝石組が作られているが、刈り込みの成長により滝石組上部を確認できないのが残念である。
理由は後述するが、全体像を撮影できないため亀島を中心とした景観、次の写真で解説すると、、、
このようになっている。築山に据えた緑で囲んだ一石は、遠山を抽象的に表現した遠山石だろうか。また★は舟石とみられる。
舟石と思われる石を拡大してみる。
鐘楼から全体像を撮影、庭園は右手奥にあるが、訪問時は行事がありクルマが多数止まっており、庭園の全体像を撮影することができなかった。
○ | 夢窓疎石が初期に作庭されたと思われる庭園を観賞できる。 |
× | 刈り込みの成長により滝石組の迫力がやや失われている。 |