江戸時代に製鉄で財を成した豪族・絲原家(糸原家)の屋敷に作られた出雲流庭園。奥出雲には、櫻井家やト蔵家など豪族庭園が複数ある。庭園は砂鉄を採取した跡地にあり、江戸時代末年頃から築庭にかかり、明治時代中頃に完成と記載されている。一方、江戸中期の大名であった松平公が招いた庭師も携わっているとの記載より、江戸中期に書院前庭園が作庭され、江戸末期以降に池泉庭園が作庭されたのだろうか。
製鉄(たたら製鉄)で財を成した豪族の邸宅庭園が点在する奥出雲。絲原家の邸宅庭園では山畔の地形を活かした池泉庭園である。
絲原家庭園は、山畔にいくつもの刈込みが植樹されている。また左手前の2石の石組は、石組が弱くなってきた江戸末期としては鋭い意匠である。次の写真で、この石組を横から撮影しています。
山肌に沿って流れるように滝石組が作られている。滝石組自体は弱いものであるが、刈込みにより清らかな意匠に仕上がっている。
山畔に絶妙なバランスで竿と中台が組み合わさった石灯籠。竿:灯籠を支える柱、中台:火袋(穴の空いた石)を支える石
出雲流庭園の特徴は飛石組手法にある。松江藩7代目藩主にして茶人でもあった松平不昧(まつだいら ふまい)が京都より招いた庭師・沢玄丹(さわげんたん)が考案したものといわれる。庭の中心に短冊石を置き、その周辺に臼石などの丸石を配置する手法である。松平不昧:本名は松平 治郷(はるさと)。隠居後に「不昧(ふまい)」を号(画家や茶人が本名以外につける名)として、松平不昧や不昧公と呼ばれることが多い。
書院前庭園を反対側から眺める。
平成2年より20年の歳月を掛けて平成21年(2009)に公開された林間散策路「洗心乃路」。その入り口にある楓滝。
滝下の池泉には岩島を配している。
日本の古称である倭(わ)と、平和の(わ)から「”わ”の庭」と名付けられた池泉。
池泉には山畔から水路が津売られ「こがねの泉」と名付けられている。既に紅葉のピークを過ぎており、見所が少なかったため、茶席付近を散策して終了。
○ | 出雲流庭園の特徴である飛石組手法が見られる。また池泉庭園に作られた刈込みの隙間から流れる滝石組と、洗心乃路にある楓滝が特徴的。 |
× | 書院から出雲流庭園を眺めてみたくなるが、立ち入りできない。 |