甲斐本家蔵座敷
かいほんけくらざしき
大正12年(1923)に7年の歳月を経て建築された。味噌・醤油醸造業を始め、財をなした甲斐本家の蔵座敷であり、庭園は渋沢栄一邸の庭園や新潟市の旧齋藤家別邸を手掛けた庭師・松本亀吉によるもの。
外観は黒漆喰で造られていることより、「烏城」という呼称をもつ甲斐本家奥座敷。池泉観賞式庭園の基礎工事には連日90人の人夫が取り組んだといわれる。
護岸石組は筑波から運んだ石であり、全体的に丸みを帯びた強さを感じさせないものである。北東部には滝石組を造り、かつては水が流れていた。つまり水が涸れた状態であるため、「涸滝石組」とも表現する。
巨石によって組まれた滝石組。滝上部の石が突き出ており、水が岩肌を伝わらない離落ちの滝だっと推測できる。
斜めから滝石組を撮影。池泉の水は地下水を利用した伏流水とこと。
東日本大震災以降、約2年間公開中止されていましたが、平成25年(2013)より再公開され甲斐本家蔵座敷。総工費は15万円で、現在の金額に換算すると5億円越えの豪邸が、再び見学できるようになりなによりである。
○ | かつては地下水が流されていた滝石組をよく観察すると力強く美しい。 |
× | 滝石組の周辺に支柱で支えられた紅葉があることで、滝石組の存在をやや弱めている。 |