城東むかし町家(旧梶村邸)
じょうとうむかしまちや(きゅうかじむらてい)
梶村家は明治4年(1767)茂渡籐右衛門(しげとうとうえもん)に津山藩から札元(いまでいう銀行)を命じられていた。本建物は江戸末期に建てられた主屋を中心とした町やで、西側の部屋は明治時代、北側の二階建てと洋館は大正時代と時代の変化に富む複合的な町家である。日本庭園は昭和に作庭されたものである。建築物は国登録有形文化財に指定される。
出雲街道沿いにある城東むかし町家は旧梶村邸である。国登録有形文化財に登録された主屋の新座敷から額縁庭園を眺めて、心を落ち着かせてからお庭を見学。
本敷地で最も新しいものが昭和に作庭された日本庭園である。おそらく当日からお庭を備えていたと思うが、現在の庭園は昭和に造られたものである。塀を越える迫力ある滝石組についてみていこう。
巨石による力強い滝石組。パンフレットによると上水道から水が流され、石の隙間には低木(灌木:かんぼく)や下草をあしらい、湧き落ちる水の流れとともに、深山幽谷を模った築山や石組の姿に力強さと独特の意匠がみられるとのこと。
現在では水を流していないが往年の様子を感じさせてくれる。
滝石組や池泉の底部にはモルタルが使われるなど、作庭当時(昭和)の最新の材料・工法を応用した近代庭園である。
大正時代に建築された二階建ての建物、その左手に昭和初期に建てられた茶室がある。
茶室「千草舎(ちぐさのや)」。中庭を望む位置に建つ入母屋造の茶室では、和歌の活動の場となっていたとのこと。
茶室前の露地庭を望む。右手には蔵が二棟並ぶ。
茶室から中庭と露地庭を眺める。
日本庭園より主屋と二階建ての建築物を撮影。
「なかのま」から庭園を眺める。
旧梶村家住宅の案内図(パンフレットより引用)
○ | 築山に設けられた巨石による滝石組が、国登録有形文化財の建物に負けない力強さがある。 |
× | 特に見当たらない。 |