粉河寺は奈良時代に創建された天台宗の寺院。現地の看板には桃山時代と記載されているが、2006年の和歌山県文化財センターの発掘調査資料では、1720年(江戸)の本堂再建時に一体として作庭されたと可能性が考えられると述べられているため、本サイトでは作庭時期は江戸として区分。千利休と師弟関係をもつ上田 宗箇(うえだ そうこ)によって作庭されたと伝わる。昭和45年(1970)に国指定名勝を受ける。
和歌山県の日本庭園では養水園と並ぶ二大名園の粉河寺庭園。3mの高低差を活かした類をみない枯山水である。石庭は写真右の石段を挟んで、東西に分かれ、写真で映っている西側の方が規模が大きい。
粉河寺庭園の見所はなんといっても枯滝石組で、滝上部に石橋を渡す玉澗流(ぎょっかんりゅう)の手法がとられている。玉澗流とは、安土桃山時代の作庭であり、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフ。背後に大きな築山を造り、その間から滝を落とし滝の上に石橋を架けるのが特徴である。他には名古屋城 二之丸庭園や山口県周南市の漢陽寺などでみられる
滝上部に石橋を渡すところをズーム。橋の奥には立石により切り立った山を見立てている。
粉河寺庭園は庭園上部からも眺められる。玉澗流の石橋は繊細で品格のある石である。
玉澗流の枯滝石組を両側には左には松が植樹された鶴石組み、右には亀石組が組まれている。わかりやすいように赤線で区切りをつけてみた。鶴石組みの左下側には洞窟石組もみられる。
雑賀崎の青石、紀三井寺近くの琴浦の紫石、紀の川市南部にある竜門山の竜門石(蛇紋岩)など和歌山県の名石を巧みに配置した豪快な枯山水だ。
斜めから玉澗流の枯滝石組を眺めると、その迫力に圧倒される。
天を打つようなひときわ細長い石が立石は遠山石(えんざんせき)であり、いまにも倒れそうな危うさが緊張感と美しさを生み出している。遠山石:遠山を抽象的に表現したもの。
続いて、石段右手のエリア。左側のエリアに比べると石の規模が少し弱くなっている。
青石の立石を頂点にして、無数の石が立てられている。
遠山石と思われるような石組。左側は枯滝石組にもみえる。
こちらは立石だけでなく、地面と水平方向にも石が組まれている。
近くで見ると石が90度に交差している。このような組み方はあまりお目にかからない希少なものだ。
石段上部から石組を望む。石組の間には蘇鉄やサツキの刈り込みを配置。巨石のみで構成された枯山水は、遠方でも訪れる価値のある名園だ。
○ | 高低差を地形を利用した巨石だけで構成された枯山水。玉澗流の枯滝石組はダイナミックで美しく鑑賞者を飽きさせない。 |
× | 特に見あたらない。 |