漢陽寺は室町時代初期の1374年に創設された臨済宗の寺院。大本山・南禅寺の別格地であり南禅寺派にあたる。観音寺には7つの庭園があり、そのうち6つは重森三玲が晩年8年の歳月を掛けて造られた。1つは重森三玲の弟子である齋藤忠一によるもの。
日本庭園史の研究家・重森三玲が平安時代、鎌倉時代、安土桃山時代と様々な時代の6つの庭園を作庭。また、さらに重森三玲の弟子である齋藤忠一の作庭で計7つの庭園をみられる庭園好きには堪らない寺である。写真は山門前庭の「曹源一滴の庭(そうげんいってきのにわ)」。受付に向かう途中に、重森三玲の庭園が待ち構え期待が高まる。築山の上部には蓬莱石、下部にも石を組み、遠近法によって蓬莱連山を表現しています。もういきなり凄い。
こちらは渓谷風の枯滝石組であり、写真の▼マークには滝上部に石橋を渡す玉澗流となっている。このような庭園は玉澗流(ぎょっかんりゅう)庭園と呼ばれる。玉澗流とは、安土桃山時代の作庭であり、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフ。背後に大きな築山を造り、その間から滝を落とし滝の上に石橋を架けるのが特徴である。他には和歌山の粉河寺庭園や、名古屋城 二之丸庭園などでみられる。
本堂前の「曲水の庭」。これは、平安時代の貴族が杯が自分の目の前までに流れてくるまでに詩歌を作って詠み、盃の酒を飲んで次へ流すという遊び「曲水の宴」を楽しむ庭である。
漢陽寺は本堂裏手にある潮音洞から流れる水路がここまで繋がっており、写真の左から右へと傾斜している。
築山には切り立った力強い石組で蓬莱連山が作られている。築山は苔庭、海を表す白砂敷には砂紋が描かれている。築山の曲線が計算し尽くされ、美しさを際だたせている。
小振りな石で組まれた石組。奥にある石は山に富士山にように美しい。
本堂から重森三玲の弟子である齋藤忠一による「祖師西来の庭(そしせいらいのにわ)」を望む。また導水路も確認できる。
「祖師西来の庭」の主景となる石組を望む。三尊石風であり、中央の蓬莱石は石の断面を魅せる面白い手法である。
本堂裏手にある潮音洞から流れる水路を分流させた流水式の池泉庭園「蓬莱山池庭」。山門前庭「曹源一滴の庭」と似た意匠であり、築山には蓬莱山、護岸石にも力強い石組が使われている。蓬莱山池庭はパンフレットには鎌倉時代の様式と記されている。
蓬莱山池庭の蓬莱山をクローズアップ。見る角度によって石の見え方の変化がよく分かり、これも石組の面白いところだ。
これまた面白い意匠の枯山水である「地蔵遊化の庭(じぞうゆうげのにわ)」。地蔵菩薩が子供と遊戯する様を平安様式の石組みによって表現したものであり、枯山水を取り囲むように全方向から眺められる。
それ故に、見る角度を変えるとこのような姿を捉えられる。中央のひときわ大きな石が地蔵菩薩であり、確かに子供を追っかけているように見える。枯山水をこのような姿に見立てる重森三玲に深く感銘する作品だ。
須弥山(しゅみせん)を順に取り囲む九つの山と八つの海で、仏教における宇宙観・九山八海(くせんはっかい)を表現した「九山八海の庭」である。こちらも「蓬莱山池庭」堂湯に池泉庭園であり、護岸石も見応えある。
「九山八海の庭」の須弥山をクローズアップ。植栽が丁寧に刈り込まれていることにより、石組を邪魔していない。よく手入れされた庭園であることがよく分かる1枚である。漢陽寺に通常非公開の庭園「瀟湘八景の庭(しょうしょうはっけいのにわ)」がある。現代様式の枯山水であり、今回特別に拝見させて頂いたので、瀟湘八景の庭にてご紹介。
○ | 平安、鎌倉、安土桃山時代と異なる時代の庭園を同時に楽しめ、全てが重森三玲とその弟子による作庭で見応え十分。導水路も一部地下を通過するなど上手く使われており、この庭園を拝見するためだけに遠征する価値が十分にある。 |
× | 特に見あたらないが、強いて言うならと重森三玲作品「瀟湘八景の庭」が、ツアーなど年に数日しか公開されておらず滅多にお目にかかれない。 |