興聖寺は江戸幕府が開幕された1603年に創建した臨済宗興聖寺派の単独本山。茶人・古田織部の懇請により建立され、古田織部夫妻の墓があることから織部寺とも呼ばれる。
2022年「京の冬の旅」にて40年振りに特別公開された興聖寺(通称 織部寺)。このために夜行バスで横浜から上洛。事前予約制とのことだが、お寺に電話すると混んでいないので予約無しでも大丈夫といわれ拍子抜け。あまり知られていないのだろう。とはいうものの週末に訪問したこともあり、10名ほどの観光客がいた。
こちらの魅力はなんといっても「降り蹲居」。地面を深く大きく掘り下げらせん状の石段を降りた先に手水鉢が据えられている。この降り蹲居を考案したのが古田織部である。古田織部とは大名でもありつつ、千利休の弟子のひとりである。
公式サイトをみると、かつては草でうっそうとした降り蹲居だったようだが、現在はこのように整備され見やすくなっている。それにしても、これほど立派な蹲踞は他にないだろう。ちなみに蹲踞とは、茶室に入室する際に身を清めたり、茶の湯を組む水場のことである。
蹲踞のそばには織部灯籠と呼ばれる石灯籠がある。竿の部分にキリスト像が彫られ、竿上部が膨らんだ形状にまっているのが一般的で、もちろん古田織部によって考案された。キリシタン灯籠とも呼ばれ、江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といわれる石灯籠である。
らせん状の石段を下った先にある手水鉢。よく見ると織部灯籠の竿の部分を再利用したものだ。器の部分は現代のものであるが、灯籠の再利用は珍しくないため、織部塔灯籠の竿については、当時からこのように使われていた可能性はある。
降り蹲居の反対側は枯流れのある枯山水があるようだが、詳細は分からない。
茶室からみた露地。
方丈南庭。写真奥には方丈西庭があり次のようになっている。
池泉回遊式庭園になっているが、露地を歩くことはできない。
汀に造られた小さな滝石組は洞窟のような形状となっていた。それにしても降り蹲居は見事であり、これを見学するために京都へ訪問しただけの価値は十分にあった。
○ | 優れた意匠の「降り蹲居」。これを越える降り蹲居はないだろう。 |
× | 手水鉢だけが時代が異なる印象を与えてしまって勿体ない。 |