江戸初期に森藩を治めていた久留島家の屋敷跡に残る池泉庭園である。旧久留島氏庭園は藩主御殿庭園、栖鳳楼庭園、清水御門前庭(清水御門御茶屋庭園)の3つの構成されるが、本記事では旧久留島氏庭園のメインとなる藩主御殿庭園を取り上げる。他2ヶ所は別記事で紹介。平成24年(2012)には国指定名勝庭園となる。
旧久留島氏庭園のメインとなる「藩主御殿庭園」を本記事では紹介。様々な要素が含まれているため図解してみる。まずは藩主御殿庭園の主景となる枯滝石組と主石となる不動石を中央に設け、その左上に蓬莱山を設けている。中島には亀島、護岸沿いに鶴島と礼拝石を造っている。池泉南部には船形石も置かれている。右手の巨石は喜藤次泣かせ(きとうじなかせ)の石といわる「請造石」であり、あまりの巨石で運ぶときに精根尽きて泣き出したといわれる石とのこと。この石は上部が上部が平らになった平天石で、ここからは枯滝石組を正面に美しく眺められる場所でもある。また、丘の上にある三島神社の礼拝石の役割があるともされる。
末広山の丘陵を活かした枯滝石組、三尊石に組まれた蓬莱山などを眺める。亀島には木橋と石橋を架け、丘陵の石段を登っていくと栖鳳楼庭園へたどり着く。石段の右手にある巨石は庭洞石と名付けられている。
枯滝石組に近づいてみる。中央にある主石が不動石となり、その左手が三段落としの枯滝石組となっている。力強く江戸時代の枯滝石組としては優れた意匠であり、気づけば食い入るように観察していた。また護岸石組も見応えがある。
蓬莱山に見立てた三尊石風の蓬莱石。(焦点距離280mmの望遠撮影)
礼拝石など正面からの観賞が美しくみえるものであるが、本庭園は反対側から眺めても美しい。池泉の手前(写真では奥)の護岸石組は低く高さを揃え、山畔側は高く組む手法はよく見られるものだ。また写真中央の中島は亀島となっており、左側の立石が亀頭石だろう。
亀島を別角度から。
現地案内版では鶴島と紹介されていたが、鶴石組が正解だろう。
鶴石組も別角度から撮影。
船形石と紹介されている岩島。いわゆる舟石で、不老不死の妙薬があるとされる蓬莱山へ向かう宝船をイメージしたものだ。
池泉東部は集団石組のような造形であり、護岸石組も見当たらない。北部と南部で強弱が付けられている。
木橋と切石橋を渡って反対側からながめると、借景には大岩扇山(691m)が広がる。これが本庭園の大きな魅力のひとつだ。
石段を登って、栖鳳楼庭園(せいほうろうていえん)へ向かう。
旧久留島氏庭園の案内図。青線が散策コースである、ゆっくり巡っても約30分ほど。ちなみに私はじっくりと撮影していたため80分ほど滞在していた。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 大分県で唯一となる国指定名勝庭園であり、そのメインとなる藩主御殿庭園は迫力ある枯滝石組を中心とした力強いものである。また栖鳳楼庭園へ向かう石段から眺める庭園も美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |