久昌院
きゅうしょういん
久昌院は建仁寺の塔頭寺院であり、江戸初期(1608)に創建した臨済宗の寺院である。久昌院の名は徳川家康に仕えた武将・奥平信昌の法号(いわゆる戒名)から採られている。庭園は江戸中期に作庭されたが、作庭家は不明。平成12年(2000)に「昭和の小堀遠州」と称えられた作庭家・中根金作の息子である中根史郎によって池泉の護岸、地底の改修が行われた。通常非公開で特別公開のときのみ見学できる。
特別公開時のみ見学でき、今回は2023年11月に訪問。以前は2018年、2017年に公開されており5年ぶりとなる。後述するが本庭園で注目したいのは3つの生垣であり、写真の左手に二段、正面に最も高い生垣である。
京都の中心部である四条と五条の間とは思えない抜け感のある空間である。本堂前の庭園には心字池を造っており、本堂と池泉までの距離が思いのほか離れているため、やや間延びしたように感じる。一般的にはこのような場合は飛石などを打ち伽藍と庭園を結びつけることが多いが、久昌院庭園では敢えてこのようにしているのだろう。
久昌院庭園で注目したいのは、まずは本堂正面の二段の刈り込み。上下二段の刈り込みと、敷地外の樹木によって三段の奥行きを生み出している。
ズームレンズで生け垣を撮影。生垣前の置かれた石灯籠が景を引き締めている。
生垣から視線を右にそらすと。庭門があり、その隣にさらに高い生垣を設けている。
心字池の左手を撮影。護岸石組は平成12年(2000年)に中根史郎によって改修されている。
本堂南側。正面が二段の刈り込みで構成された生垣、右手が最も高い生垣。
室内では撮影はできないが、このような場所から額縁庭園も楽しめる。
○ | 上下二段の生垣と敷地外の木々によって奥行きを生み出し、また空の抜け感と相まって京都中心部と思えない開放感のある庭園になっている。 |
× | 特に見当たらない。 |