奈良時代から平安時代に比叡山に創建されたのが曼殊院の始まりといわれる。現在地には江戸時代(1656年)に移転。書院には桂離宮と共通した意匠がみられ「小さな桂離宮」とも呼ばれる。
庭園沿いの縁側からの景色は、まるで屋形舟から眺める庭園を楽しむように設計された曼殊院。縁側は広く、紅葉シーズンでも比較的落ち着いて観賞できるだろう。
まずは大書院から鶴島を眺める。鶴島には樹齢400年の堂々たる五葉松が鶴を見立てている。
大書院から亀島を望む。迫力ある鶴島とは対照的な静かに佇む亀島だ。写真左側の砂紋は同心円に広がる渦巻きとなっている。砂紋の変化にも注目してみると面白い。
小書院から亀島の奥に広がる蓬莱連山。解説文には「遠州好みの枯山水、庭の中心に瀧石があり、白砂の水は水分石から広がり、・・・」と記載され、それがこの景色である。次の写真で解説。
右奥の立石が「滝石(瀧石)」であり、曼殊院庭園最大の見所だ。そこから流れる水が石橋をくぐり、水分石(みずわけいし)で川が二分され、大海へと流れ込む。その様子を小書院の欄干(らんかん)から眺めると、まるで屋形船に乗船して大海へ向かっているように想像できるのである。欄干:縁側の手すり
滝石と石橋を望遠で捉える。肉眼では滝石、石橋を確認するのは難しいので、双眼鏡などを持参するのが良いだろう。もしくはスマホで撮影して拡大もいいだろうか。
箸休めの1枚。
小書院越しに、先ほど図解した蓬莱連山、滝石、石橋、水分石を望む。意図を理解した上で眺めると、屋形船に乗船して大海を進んでいるようにもみえてくる。また、小書院の欄干だけ意匠が優れていることにも気づく。
別角度から小書院の縁側を望む。左手前には蹲居(つくばい)を確認できる。その蹲居を詳しくみてみる。
蹲居を上から眺めるとこのような意匠である。まず目を惹くのが青石の前石である。なんとも独特な形状だ。また手水鉢(ちょうずばち)の外側には楕円形の出っ張りがあるが、近寄ってみると「フクロウ(梟)」が掘られ「フクロウの手水鉢」とも呼ばれる。ちなみにフクロウは「不苦労」とも読み替えることができることから縁起物という意味や、平安時代には「幸せを運ぶ吉鳥」とも言われていたそう。蹲居については、新潟の国指定名勝「清水園」の記事を参考にして欲しい。
右手に鶴島、左奥に亀島を望む。
小書院から額縁庭園を愉しむ。
最後に坪庭を拝見して曼殊院庭園をあとにする。庭園の知識がなくても十分に景観を楽しめ、知識を付けることで更に楽しめる、初心者にも庭園通にも嬉しい庭園である。
○ | 滝石から石橋をくぐり大海へと流れる様子が美しい。また、縁側も書院も広くゆったり庭園観賞できる。 |
× | 最大の見所となる「滝石から石橋をくぐり大海へと流れる様子」は、少々離れており、双眼鏡などがないと細部を確認できない。 |