新発田藩三代藩の郊外の別邸である下屋敷に、遠州流の茶人で幕府庭方であった縣宗知(あがた そうち)を招いて庭園を作庭し「清水谷御殿」が江戸初期に完成。昭和21年(1946)より北方文化博物館の分館となり、「清水園」と名づけられた。平成15年(2003)に同じく縣宗知の作庭による五十公野御茶屋庭園と共に、国指定名勝を受ける。
書院から眺める庭園に注目されがちであるが、書院横に池泉へ繋がる水路沿いの苔庭も美しい。
書院の南側に池泉が配置され、開放された縁側越しに額縁庭園を楽しめる。写真右手はガラス障子であり、中央に横長のガラスが入っている「横額障子」と呼ばれる。これにより丁度正座したときに、切り取られた庭園を眺められる。
黒松の近くを散歩していた女性が絵になったので、おもわずシャッターを切る。
書院の東にある障子は一定間隔で隙間をとって配置。意図的な演出だと思うが遠近感が強調され実に見事である。
先ほどの写真と反対側から眺めるとこのような光景になる。
書院から苔庭を望む。2枚目の写真は、この視点と反対から撮影したものである。
手前の平石は礼拝石だろう。池泉庭園ではよく見られるもので、最初に庭園を見渡すビューポイントといったところである。それでは、散策路を巡っていこう。
まず注目したいのが、洲浜(すはま)から荒磯(ありそ)へと続き、その先に置かれている愛らしい岬灯籠が置かれた意匠である。この風景を公式サイトには「近江八景をとり入れた庭園は、巧みな遠近法を見せてくれます。」と記載されている。なお、洲浜から続く岬灯籠は、日本最高峰の庭園である桂離宮(京都)でもみられる。さらに、左正面の岩島は亀島である。洲浜:池泉の水を美しく魅せる技法。荒磯:荒々しい磯場を表現。
石組と小滝の組み合わせ。ズームアップして撮影すると、まるで渓谷から流れ落ちる大滝を感じさせる。
女性や子供には、渡るのが少し怖い細い石橋。回避路もあるのでご安心を。石橋の右手奥には池に2つの岩がみえる。
石橋から2つの岩をズームアップ。左側のひときわ高い石を「池中立石(ちちゅうりっせき)」と呼ぶ。そして橋を渡って違う視点から眺めると・・・
なんと3つの岩島で構成されている。順路通り進むと2つから3つの変化することからも、趣向を凝らした意匠であることが分かる。
石造りの手水鉢(ちょうずばち)。手水鉢は、隣接する茶室へ向かう際など、身を清めるため造られることが多く、こちらでは実際に近くには茶室がある。A、B、Cの石の表面は平であり、これには役割がある。Aは手燭石(夜の茶会で使う手燭(てしょく)という明かりを置く石)、Cは湯桶石(茶室で使う湯桶を置く石)、そして両手が空いた状態でBに本人が立ち手を清める。この4石をまとめて蹲踞(つくばい)と呼ぶ。これで、アナタも日本庭園ツウ。
清水園の案内マップ
○ | 書院からの額縁庭園の美しさ、桂離宮を思わせる洲浜からの岬灯籠、池中立石と見応え十分。 |
× | 特に見あたらない。 |