妙顕寺は鎌倉時代後期(1321)に創建された京都で最初の日蓮宗の寺院。開山は日蓮宗を開祖した日蓮聖人の孫弟子にあたる日像上人。また後醍醐天皇の勅願寺でもある。また境内には江戸時代以降の庭園が4つ作庭されている。
妙顕寺には4つの枯山水がある。まずは客殿前の「四海唱導の庭(しかいしょうどう)、別名 龍華飛翔の庭(りゅうげひしょう)」から紹介していく。本寺院は後醍醐天皇の勅願寺でもあるため延段の先は勅使門となる。そしてその奥は大本堂となる。
寺院で頂いた説明文を読むと「釈迦の教えが世界中に広まる様子を表現した庭」と記載されている。どう表現しているのだろうと、望遠レンズで撮影していたら理解できた。それは、、、
庭園南東部の苔で覆われた野筋に枯滝石組と枯流れを設けている。つまり枯滝石組を釈迦に見立てているのである。
別角度から枯滝石組と枯流れを撮影。
続いて社務所と書院の間に設けられた「孟宗竹の坪庭」へ。こちらは江戸時代中期を代表する画家・尾形光琳が晩年に描いた「寿老松竹梅図 三幅対」になぞらえて作庭されたと言われている。なお「寿老松竹梅図 三幅対」は妙顕寺で所蔵しており特別公開時に見学できる。
また説明文には経典「妙法蓮華経」にちなみ28本の竹を植えているとの。余談であるが、公式サイトではネスカフェのCMの背景にも使われたとあったので、YouTubeでCMを探してみたが見つけられなかった。
つづいて樹齢400年の赤松と、樹齢200年の黒松が印象的な「光琳曲水の庭(こうりんきょくすい)」へ。
本庭園は「孟宗竹の坪庭」同様に画家・尾形光琳の作品を模して作庭された枯山水で、松を中心に川の流れる様子を曲水として表現している。
丸窓から「光琳曲水の庭」を望む。
「光琳曲水の庭」の蹲踞(つくばい)には、織部灯籠が添えられている。織部灯籠とは茶人・古田織部が考案した蹲踞で、竿の部分にキリスト像が彫られ、竿上部が膨らんだ形状にまっているのが一般的である。キリシタン灯籠とも呼ばれ、江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といわれる石灯籠である。
流れで曲水を表現している。曲水とは曲水の宴を行う庭のことであり、平安時代の貴族が杯が自分の目の前までに流れてくるまでに詩歌を作って詠み、盃の酒を飲んで次へ流すという遊ぶ庭のことである。詳しくは万葉の森公園 曲水庭(浜松市)の記事を参考にしてほしい。
最後は「五色椿と松の庭」。「抱一曲水の庭」とも呼ばれ、江戸時代後期の絵師で俳人である酒井抱一(ほういつ)の作品をもとに作られた庭園である。
流れの上流は粗めの石を使うことで、水流の違いを表現しているところに注目したい。
妙顕寺の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 釈迦の教えが世界中に広まる様子を枯滝石組と枯流れで表現した「四海唱導の庭」が秀逸である。 |
× | 特に見当たらない。 |