西村家庭園は、元は代々神社に仕える神職の家柄である社家・錦部(にしきごり)家だった。平安後期(1181)に上賀茂神社の神主・藤木重保(しげやす)によって作庭。明治20年代に西陣の織物業・西村氏が別邸として購入し、明治37年(1904)に主屋を建て、庭園を大きく変えることなく整備。
平安時代に作庭された庭園が整備されつつ現在も残る西村家庭園は、上賀茂神社の元社家で唯一公開されている貴重なスポットである。
庭内には西村家の入り口を流れる明神川の水を取り入れ、邸宅内を回遊したあと、もとの明神川へ戻す工夫がされている。川の水を美しく保つため生活排水は、南庭に掘られた井口へ流され、小石などで濾過されたのちに明神川へと戻る。
明神川の水を取り入れ「曲水の宴」が開催できるようになっている。曲水の宴とは、平安時代の貴族が杯が自分の目の前までに流れてくるまでに詩歌を作って詠み、盃の酒を飲んで次へ流すという遊ぶ庭のことである。「曲水の宴」の理解を深めるには、浜松市の万葉の森公園 曲水庭園の記事を参考にして欲しい。
石灯籠の右側に、上賀茂神社の御神体である神山(こうやま)に見立てた降臨石がある。植栽の成長により石組が見えにくくなっているが、三尊石組になっている。左手前には、少し高さがあり天端(てんぱ)が平らな平天石(へいてんせき)を据えている。天端:石の上部
神官が冷水を浴び、身体を清める儀式が行われていたとされる井戸。神官の庭であることを特徴づけるものでもある。
庇が長く、雨の日でも開放したまま庭園を眺められる。
奥庭に移動して、小書院から池泉庭園を眺める。
土橋と切石による出島風の苑路が造られている。こちらは家屋が立てられた明治以降に作庭されたものとされる。
小さな滝石組が造られている。折角の池泉回遊式庭園であるが、植栽が豊かすぎて散策するのを憚れるのが残念なところである。
社家前を流れる明神川は、上賀茂神社の境内から流れてきている。
西村家別邸(錦部家旧宅)の俯瞰図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 平安時代に上賀茂神社の神主が作庭した庭園がいまも残る貴重な庭園。明神川の水を取り込んで「曲水の宴」が行われていたことも興味深い。 |
× | 植栽が豊かすぎて降臨石の全体像が分からず、また奥庭の池泉庭園も植栽により散策にしくくなっている。 |