鶴ヶ城 麟閣
つるがじょう りんかく
会津藩主の茶道を指南した千利休が自害したのち、藩主が利休の子・千少庵(せんのしょうあん)を会津にかくまい、茶道振興のため滞在させていたときに建てた茶室。建築は安土桃山時代とされる。明治5年、鶴ヶ城が取り壊される際に移築され、平成2年に再び鶴ヶ城に戻された。
鶴ヶ城にある茶室。茶室に付随する庭園を露地(ろじ)と呼ぶ。訪問時は紅葉シーズンの週末ということもあり、写真には写ってないが、多くの観光客で賑わっていた。
茶室「麟閣」までのアプローチが見どころなので説明していく。まずは寄付(よりつき)から。寄付とは、茶会に先立って客が連客と待ち合わせたり、身支度をする場所である。
寄付と露地を仕切る中門をくぐると腰掛待合がみえる。腰掛待合とは主人の迎えを待つ場所である。また、お茶を楽しむフルコースのことある茶事で懐石と濃茶を楽しんだあと、休憩として露地を散策。その後、この腰掛待合で茶事の後半の準備が整うのを待つ場所となる。
さらに進むと蹲踞(つくばい)があり、手と口を清めて茶室にはいる。蹲踞については岐阜県美濃加茂市の旧太田脇本陣の記事を参考にして欲しい。
寄付、中門、腰掛待合。
茶室「麟閣」を鎖の間越しに撮影した1枚。
お茶席で抹茶とお菓子を楽しめる。
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城。 [ 案内図を拡大する ]
麟閣の案内図
○ | 寄付、中門、腰掛待合、蹲踞を経て茶室へと誘われる本格的な露地を見学できる。 |
× | 露地を散策できない。 |