立本寺は鎌倉時代後期(1321)に、日蓮宗を開祖した日蓮聖人の孫弟子の日像上人が創建した妙顕寺龍華院を始まりとする。室町時代(1416)に立本寺と称され、日蓮宗の本山である。江戸時代中期に焼失後、現在地にて再建する。境内には江戸時代後期に作庭された「竜華苑(龍華苑)」が、昭和60年(1985)に京都市指定名勝を受けている。さらに7年の歳月をかけて平成22年(2010)に修復。
庭園は西庭と南庭のL字型に広がっており、まずは西庭より紹介していく。竜華苑(龍華苑)は立本寺を開山した日像上人への報恩のために作庭されたと推測されている。手前に白砂敷き、奥に大小の築山を設けている。
右手の築山には枯滝石組を作っている。風合いからして2010年の修繕にあたって再構築されたものと思われる。青石を滝石として栗石で水流を表現している。少ない石で構成されている枯滝石組であるが力強く見事な意匠である。
庭園内に立ち入りことを許可していただき、築山から枯滝石組を撮影。
つづいて正面の築山を望む。こちらは古風な枯滝石組であり、古庭園をある程度巡ってきた方でないと枯滝石組であることに気づかないと思われる。
枯滝石組に近づいて撮影。解説によれば、「枯滝石組をもつ築山は、お釈迦様が法華教をお説きになった霊鷲山(りょうじゅせん)であり、築山の所々に配置されている石は、説教を聞く衆生(しゅじょう)」とのこと。霊鷲山とはインドにある山で釈迦が法華教を説いたとされる山として知られる。また衆生とは生命あるもの全てを意味する。さらに築山の山頂に石塔が建てられているが、これは説教のなかに出てくる宝塔出現の場面を表している。後述で宝塔を描いた屏風を紹介する。
書院からの額縁庭園。
書院と本堂を繋ぐ渡り廊下から西庭を望む。
つづいて南庭を撮影。正面には書院と本堂を繋ぐ渡り廊下があり、右手が書院となる。
塀に沿って築山を設けて、左手に手水鉢を置いている。
先ほど触れた屏風。こちらは「法華教宝塔曼荼羅図」であり、重要文化財に登録されている。展示はレプリカであり本物は京都博物館に寄託されている。こちらに描かれた塔が先ほどの石塔である。
そして驚くのが、宝塔が法華教の文字で描かれているのである。まさしく浄土の世界が詰まった屏風である。
○ | 法華教を説いた世界が枯山水に表現されており、法華教の文字で描かれた「法華教宝塔曼荼羅図」と合わせて鑑賞すると実に深い庭園であることが分かる。 |
× | 特に見当たらない。 |