西徳寺は鎌倉初期に創建された浄土宗寺院である。庭園は江戸時代に作庭された露地を、地元の庭師・中田辰治郎によって明治30年(1897)から昭和初期にかけて改修された。昭和31年に市指定名勝に登録。
なぜか庭園が少ない富山県。国指定名勝の庭園はなく、県指定名勝の庭園は氷見市の光久寺の茶庭のみである。そのなかで市指定名勝である本庭園は貴重だ。
事前予約制で見学ができるため電話予約を行った。ただ屋外からの見学も可能であるため、住職の説明不要であれば、予約無しでも見学は可能のようにも思われる。もちろん法要などが行われていることも当然あるため、予約無しの場合には当日お声がけは必要である。
本庭園は二河白道(にがびゃくどう)をイメージしている。「二河」とは「火の河:怒り」と「水の河:欲の深さ」を表し、その間にある「白道」を進めば、極楽浄土に達し往生できるというもの。写真の青線が「白道」であり、この世の「此岸(しがん)」から、あの世の「彼岸」に通じ、その先に阿弥陀三尊のご来迎を現す三尊石を据えている。二河白道を抽象的に表現された庭園としては、千葉県市川市の源心寺があり、一度写真を見て欲しい。
阿弥陀三尊のご来迎を現す三尊石は、丸みを帯びた3つの立石で組まれている。手前の伏石はお供え物を置く石とのこと。
ご住職の推測によると、中島は亀島であり、対岸の出島は鶴島とのこと。確かに亀島には亀頭石と思われる石があり、鶴島の立石は羽石にみえる。本堂から眺めると羽石はだるまのようにみえることから「だるま石」と呼んでいるとのこと。
亀島と鶴島。鶴島には長寿を願う松を植樹することが多い。羽石のそばにある長石は鶴首石だろうか。訪問時はちょうど剪定作業とかぶっているため、枯池には切り落とした葉が散乱していた。また、この枯池はかつては池泉(心字池)だったとのこと。昭和30年頃に近所のガソリンスタンドや、洗濯排水の影響で池が泡だらけになり枯池とした。その後、再び池泉に戻すことを考えたが、造園業者より根腐れするとのアドバイスにより枯池のままになっている。
枯池にひときわ目立つ岩島は、僧侶にようにも見えると仰っていた。確かに、、、
枯滝石組らしき石組もみえるが、剪定作業中につき近づいて確認できなかった。
巨石の自然石による石橋が豪壮で美しい。色合いから茶色の部分は地中に埋めて立石にしていたものを、石橋に転用したのだろうか。
○ | 二河白道の先に阿弥陀三尊のご来迎を現す三尊石を据えているという構図が良い。 |
× | 中島(亀島)の刈り込みは排除したほうが、二河白道をより強調できて良いと感じた。 |