清見寺
せいけんじ
臨済宗妙心寺派の清見寺は、奈良時代の創建と伝えられ、鎌倉時代中期(1262)に再興。庭園は江戸時代初期に作庭され、昭和11年(1936)に国指定名勝を受ける。室町時代を代表する水墨家にして作庭家でもある雪舟(せっしゅう)も清見寺を訪れる。
夜景倶楽部オフ会で訪れた清見寺。10名以上で庭園を拝見したのは初めてであるが、半貸し切り状態でのんびりと観賞することに。
2つに分かれた池泉のように見えるが境目は石橋であり、ひとつの池泉となっている。
山畔を活かして池泉庭園。赤ラインは九曲泉と呼ばれ池泉の水源となっている。青が枯滝石組と思われ、この付近をズーム撮影すると、、、
このようになっている。赤マーカの九曲泉には水が流れているが、その水は山肌に造られた枯滝石組の経由せずに、築山地下で池泉に繋がっていると思われる。山肌の青マーカは枯滝石組となっている。
別角度から枯滝石組を眺めてみる。
池泉に架かる2石の自然石。四隅には橋添え石を据えている。橋添え石は、橋に安定感と躍動感を与える役割がある。滝添え石がないと、石橋が浮いたような印象で、またいつかは沈んでいくようなイメージも与えてしまう。
別角度から池泉庭園を眺める。
清見寺は様々な角度から額縁庭園を撮影できるのも、魅力である。
中には亀石組にも鶴石組にもみえる中島が造られている。
左端の長石は、亀石組であれば亀頭石。鶴石組であれば鶴首石(かくしゅせき)となる。江戸時代作庭の南禅寺の金地院庭園(京都)の鶴石組に似ていることから、鶴石組と推測する。
清見寺には二階に休憩広間があり、ここから境内を見渡すこともできる。それほど広い庭園ではないが、のんびりと寛げる寺院であった。
清見寺庭園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 様々な角度から、のんびりと額縁庭園を撮影できる。 |
× | 日本庭園としての要素が若干少ない。 |