清爽園
せいそうえん
清爽園は、かつて熊本城の玄関口となる新一丁目御門があった場所になる。国内最後の内戦となる明治10年の西南戦争後に、同戦争で従軍した乃木 希典(のぎ まれすけ)の呼びかけにより熊本藩の大名屋敷であった花畑屋敷の庭石を再利用して明治12(1879)に清爽園が造られた。
かつての熊本城の玄関口であったところに造られた池泉回遊式庭園。ここから本丸まで徒歩10分以上かかり、熊本城が広大さが分かる。重厚感のある石橋の先には、切り立った石組がみえる。
少し近づいて石組を撮影。中国の不老不死の妙薬を飲んだ仙人が住むとされる切り立った黄山(こうざん)のようだ。
石橋を渡り正面から撮影すると、立石を巧みに使い立体的な意匠になっている。
さらに奥に回り込むと、このように薄くて鋭い板石を多用している。
谷地と築山に石組を設けている。築山には蓬莱石のような石を据えている。
谷地の渓谷をイメージしているのだろうか。清爽園では岩面が平らになるように並べている特徴がある。
こちらは谷地に水を流し、築山には同様に板石を立てて山に見立てている。
正面から眺める。奥に民家が見えてしまうので、木々で囲むようなことができれば石組が引き立つだろう。
○ | 明治時代に作庭された庭園であるが、江戸初期に作庭された大名屋敷の庭石を再利用していることもあり、力強い石組になっている。 |
× | 石組が力強く見事であるが、公園的な扱いで、周辺に民家などがあるため庭園にいる感じがあまりない。 |