岡山県生まれの重森三玲は、34歳だった昭和4年から京都の本邸宅で過ごす。本邸宅は近隣にある吉田神社の神官(しんかん)の屋敷を昭和18年に購入。主屋、書院共に江戸時代の建物であり、茶席と庭園は昭和45年(1970)に重森三玲にて作庭。2006年には重森三玲庭園美術館として一般公開され、館長は孫の三明(みつあき)氏である。神官:国の役人だった神主
完全予約制の重森三玲庭園美術館。モダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家であり、昭和を代表する作庭家でもある。庭園自体の坪数は100坪弱とコンパクトながら見応え十分。1回の見学定員は15名ほど。
書院前には、平らな礼拝石が据えられ、礼拝石のすぐ奥には三尊石が組まている。さらに奥(塀側)には中央に蓬莱島、東西に方丈、壷梁(こりょう)、瀛州(えいしゅう)と仙人の住む島を表現した石組が配置している。礼拝石は屋敷を購入したときからのものであり、それ以外の石は重森三玲により作庭され青石が主体である。
白砂で見立てた海には舟石が据えられ、こちらは蓬莱島から戻ってきた「戻り舟」を表現している。本庭園には「入り舟」と「戻り舟」の2石があり、後ほど「入り舟」を紹介する。また戻り舟の奥には、先ほどの仙人の住む島を表現した石組がみえる。
仙人の住むを表現した石組をクローズアップ。左から方丈、壷梁(こりょう)となるのであろうか。青石の模様が非常に美しい。
仙人の住むを表現した石組をクローズアップ。左奥の1石が蓬莱島、その右手が瀛州(えいしゅう)だろうか。
無字庵庭園の入り口から見渡す。左手が書院であり、苔と白砂の曲線美が見事である。
ここから眺めると、蓬莱石や三尊石は苔で覆われた築山にあり、その周りを白砂で見立てた海や河川に囲まれていることが分かる。
山間を流れる谷川の流れを表現している。流れにおかれた石は流れを分流する「水切り石」だろうか? ミニチュアにもみえる見事な意匠である。
書院前の白砂を真上から見下ろす。
無字庵庭園には、舟石は「入り舟」、「戻り舟」の二石が据えられている珍しい庭園である。こちらは、蓬莱山に向かう「入り舟」であり白砂で見立てた海に浮かぶ舟を表現している。
重森三玲が作った茶室「好刻庵」前にある蹲踞(つくばい)を撮影。蹲踞とは茶室へ向かう際など、身を清めるため造られたものである。蹲踞の奥にはこれまた見事な石が据えられ遠山石風である。
波型の州浜は、重森三玲の作品によくみられる意匠である。
書院奥にある坪庭。3石で組まれている。この方向からしか眺められないのが少々残念。
書院から無字庵庭園を再び望む。こちらの書院で館長から庭園の説明を受ける。とても庭園について詳しい方であるので、気になるところは質問して理解を深める良い機会である。私はここで舟石に「入り舟」と「戻り舟」があることを学んだ。
○ | 重森三玲の孫である館長の解説を聴きながら庭園観賞できる。予約制の団体見学ながら落ち着いて見学でき、またあらゆる角度から眺めても破綻しない見事な庭園である。モダンな日本庭園が好みであれば、必ず訪れたい庭園のひとつである。 |
× | 特に見あたらない。 |