真正極楽寺は比叡山延暦寺を総本山とする天台宗寺院であり、真如堂と通称する。創建は平安時代(984)と古く、応仁の乱で焼失した。その後移転を繰り返し、江戸中期(1718)に現在地にて再建。庭園は近代に造られたもので、「涅槃の庭」は昭和63年(1988)、「随縁の庭」は重森三玲(しげもり みれい)の孫にあたる千靑氏によって平成22年(2010)に作庭。
創建は平安時代と古刹であるが、見学できる庭園は昭和以降に作庭された比較的新しいものである。こちらの写真は「涅槃の庭(ねはんのにわ)」。涅槃とは「苦しみから解放された安らかな世界。転じて釈迦の死。」であり、お釈迦様の最期をモチーフとしており、お釈迦様が北枕にして、脇腹を下にして横たわり、その周りに弟子たちが囲んでいる様子を見立てている。頭を北に向けているのは、お釈迦様がやってきた方向であるとされる方角であり、世界各地のお釈迦様の涅槃像は、多くは北枕になっている。
借景には東山を望み、五山送り火の「大文字山」を正面に望める。手前の白砂はインドの大河・ガンジス川を見立てている。
もうひとつ注目したいのは生け垣。二段構えで前段は高さを揃えた生け垣、後段は緩やかな稜線をもつ生垣。これは借景となる東山とのバランスを考えた意匠と考えられる。
涅槃の庭とひと続きになっている南庭は、切石による延段と白砂と苔庭の組み合わせ。写真左上には三尊石もみられる。余談ではあるが、切石のみで構成された延段を「真」、自然石のみを「草」、ミックスしたのを「行」と表現する。これは書道の「楷書(真書)」「草書」「行書」に習うものであり、写真の延段は「真の延段」と言い表せる。
苔庭に挟まれた白砂はガンジス川に見立てたものである。
鎌倉時代に造られた「燈明寺燈籠(とうみょうじとうろう)」は、現在は廃寺となった燈明寺(京都府木津川市)にあった石燈籠が寄進された。
お茶会の準備中であるため、座敷からの額縁庭園を撮影はできなかった。
続いて「随縁の庭(ずいえんのにわ)」へ移動。モダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲(しげもり みれい)の孫にあたる千靑氏によって作庭され、三井家の家紋である四つ目の家紋をモチーフにした枯山水である。
四つ目の家紋をモチーフにしつつ、石を組み合わせた意匠が新しく、重森らしさを感じさせてくれる。
四つ目の家紋に、大胆にも三尊石を組んでいる。「随縁の庭」で使われている石は、千靑氏が境内を巡り歩いて見つけ出した石が再利用されている。
三色の砂利を使い分けたモダンな造りである。
場所を変えて露地(ろじ)を撮影。飛石が二手にわかれ、仕切りの竹垣は稜線を描くような意匠である。圧迫感のない生け垣に上質さを感じる。露地:茶室に繋がる茶庭
2つの枯山水と露地と趣向の異なる3つの庭を室内から楽しめる真如堂。雨に濡れることもないため、雨天時などに特にお薦めしたい寺院である。
○ | 「涅槃の庭」の二段構えの生け垣。借景となる東山と生垣の対比が素晴らしい。また重森千靑氏による枯山水も斬新で興味深い。 |
× | 特に見当たらない。 |