神泉苑
しんせんえん
神泉苑は東寺真言宗の寺院であるが、かつては平安京に隣接していた天皇のための庭園であった。平安時代には現在の神泉苑の16倍ほどの広さがあった。そして、貴族の住宅と一体となった庭園形式である「寝殿造り系庭園」の遺構を垣間見られる貴重な庭園である。
貴族の住宅と一体となった庭園形式である「寝殿造り系庭園」は、現存するものは存在しない。ただ、神泉苑と大覚寺嵯峨院(京都)では、その遺構を垣間見られる貴重な庭園となっている。朱色の太鼓橋は明治以降に掛けられたものである。
法成橋から善女龍王社(ぜんにょりゅうおうしゃ)を望む。善女龍王社は江戸時代に焼失し、その後再建。そして平成25年に大修繕されている。
法成就池を望む。右奥には中島がみえる。左の遊覧船のようなものは固定された船館「龍王船」で、隣接する懐石料理「祇園平八」で宴会ができる。 平安時代は現在よりも大きな池泉で、当時は皇族が船遊びをしていた。また京都で最も古い苑池であり、嵯峨天皇が日本で最初に花見をした場所とされる。
中島を望む。
池泉越しに善女龍王社(ぜんにょりゅうおうしゃ)を望む。
池泉の西側に、小さな池が繋がっている。
石を積み重ねて中島が造られている。歴史的背景を理解しないと、なんて言うこともない池泉庭園であるが、平安時代は天皇のための庭園であった場所と考えると感慨深い。
かつての平安京(別名:大内裏)と神泉苑。江戸時代には、その両側の敷地を跨ぐように徳川家の城として二条城が築城された。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 貴族の庭園である「寝殿造り系庭園」は現存しないなか、その遺構とはいえ見られるのは誠に貴重である。 |
× | 神社の案内板には「寝殿造り系庭園」について触れられておらず、その貴重さが伝わりにくい。 |