外村繁邸(外村繁文学館)
そとむらてい(そとむらぶんがくかん)
滋賀県を代表する小説家であった外村繁の三男・吉太郎の邸宅であった。平成元年(1989)に「ふるさと創生事業」で外村吉太郎亭を修復整備して外村繁邸(外村繁文学館)として一般公開。邸宅庭園は山村文七郎によって明治39年に作庭され、鈍穴流の庭園といわれる。
本庭園の解説の前に「鈍穴流」「花文」について説明をしておこう。「鈍穴流」とは江戸末期から明治前期の作庭家・勝元 鈍穴、およびその技術を継承する作庭家による庭を「鈍穴流の庭」と呼ぶ。勝元 鈍穴は、茶道遠州流の中興の立役者といわれる辻宗範の直弟子であり、近江生まれで本地に多くの庭園を作庭。鈍穴流は山村家によって継承され、五代目・山村文志郎が代表を務める花文造園土木(株)より、通称「花文の庭」とも呼ばれている。
客間縁先の露結形手水鉢は、小堀遠州が設計した大徳寺「孤篷庵」(京都)にある露結形手水鉢を模したもの。また、露結(ろけつ)とはウサギを意味する「露結耳」からきている。
露結形手水鉢から飛石を渡った先には織部灯籠を置いている。
織部灯籠とは竿の部分にキリスト像が彫られ、竿上部が膨らんだ形状にまっているのが一般的で、もちろん古田織部によって考案された。キリシタン灯籠とも呼ばれ、江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といわれる石灯籠である。
桂離宮でもみられる二重升型手水鉢。
2階からは鈍穴流の庭を見下ろせる。
鈍穴流の飛石では、「同じ産地で同系色の石を3個以上続けて打たない」という鉄則がある。
2階からの眺め。
○ | 桂離宮にある二重升型手水鉢、大徳寺「孤篷庵」(京都)にある露結形手水鉢を模した手水鉢が置かれ、こだわりの手水鉢を観賞できる |
× | 特に見当たらない。 |