御書院・眼鏡橋
ごしょいん・めがねばし
御所院は室町時代に諫早地方を治めた西郷尚善が屋敷を構えた場所である。その後、諫早鍋島家初代当主・龍造寺家晴によって壮大な屋敷となった。昭和32年(1957)の大水害で池泉が土砂に埋まったが、平成15年(2003)に諫早公園、眼鏡橋、御書院などを周遊する「高城回廊」の再整備の一環として再整備された。
安土桃山様式の池泉回遊式庭園。昭和になって水害を受けたが、土砂を綺麗に取り除き復元された庭園が一般開放されている。写真でみてわかるように不自然に直線となった護岸は、この護岸に屋敷が建てられたことにより直線状に改修されたのか、もしくは屋敷に沿って池泉を造ったため、このようになったかは不明だ。
中島には太鼓橋を渡し中島には月見灯籠を設置。月見灯籠は月が出ていなくとも、月見を楽しめるという趣向で置かれた灯籠のことである。
中島は護岸石組で囲まれている。
護岸石組に使われている石は丸みを帯びた弱いながらも、単調にならないような形状をもつ石を利用することにより品良く纏まっている。池泉の奥には茶室があるが、事前に諫早高校へ電話連絡すれば内部を見学できるとのこと。(2021年時点の情報)
太鼓橋付近の護岸石組。亀頭石を思わせるような石組もみられる。
心字池の南部はこのような直線を主体とした造りになっている。
御書院を離れて、高城回廊を巡る形で眼鏡橋へ。
この眼鏡橋は日本で最初に国の重要文化財に指定された石橋である。眼鏡橋といえば、長崎市の「眼鏡橋」が知られているが、こちらは江戸後期(1839)に永久不壊の願いを込めて造られたものである。当初は本明川に架けられていたが、諫早水害後に現在地へ移設されている。
○ | 国の重要文化財である眼鏡橋と安土桃山時代の様式を残す池泉庭園を歩いて巡れる。 |
× | 特に見当たらない。 |