多聞寺は奈良時代に空海によって開基されたと伝わる真言宗御室派の寺院である。多聞寺は江戸時代(1698)に現在地に移転しているが、庭園時代は室町時代に作庭されと伝わる。重森三玲によれば作庭家は不明であるが、本出たら勝願寺であり、庭園の意匠から勝願寺庭園の作庭者と同じではないかと推測している。また多聞寺庭園は平成11年(1999)には徳島県の指定名勝を受けている。
名園が点在する徳島県において、山奥にありながらも足を伸ばしたいのが多聞寺である。庭園バイブル「日本庭園史大系(著:重森三玲・完途)」でも紹介されている庭園で、文献を参考にしながら取材した。
多聞寺庭園は山畔を利用した地形に多くの石を配置している。
多くの石で構成されているため、まずは理解しやすくなるように図解からはじめる。本庭園は三段の枯滝石組を主景としている。上段は三尊石組となっている。中段は巨石による水落石を配しており、水落石の下部には鯉魚石を設けた龍門瀑となっている。この意匠は願勝寺(徳島県美馬市)と類似していることから、同一の作庭家と推測されている。重森三玲によれば中段にも鯉魚石があり、願勝寺と照らしあわせると「鯉魚石?」としるしている立石が鯉魚石だろうか。築山の右手上部には遠山石、遠山石の花壇には洞窟石組がみられる。
解説しきったところで、改めて正面から三段落としの枯滝石組を鑑賞。
上段の三尊石組を望遠撮影。単なる三尊石組ではなく、水が流れていく水路を造っていることから滝石組の上段を構成していることが分かる。
枯滝石組はS字カーブを描くように流れ落ち、中段の水落石手前の立石が鯉魚石と推測した理由は、願勝寺の上段の鯉魚石との位置関係からだ。本庭園を見学するような方は鯉魚石や龍門瀑の説明は不要だと思うが、念のため解説しておく。鯉魚石とは、中国の鯉が滝を登ると龍になるという故事「登竜門」にちなんだ鯉を石に見立てたものである。もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したものを「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼ぶ。
下段の滝石組は巨石による豪壮なもの。水が流れ落ちる様子に見立てた水落石の下部に鯉魚石を配している。
凛とした遠山石。
洞窟石組のようにみえる石組。
池泉東部より撮影。写真右手には巨石による蓬莱石組がみられる。
水落石手前の立石は、かなり前に倒されている。重森三玲の文献にはこのような記載がないことから、地震などにより傾いてきたのではないかと想像。そして下段には鯉魚石。
三段落としの枯滝石組を縦撮影。
三石による石橋、かつては横並びの二石が一列に並んだ三橋式に架けられていたと三玲は推測している。
最後に自然石による石橋を撮影して多聞寺庭園をあとにする。本庭園は山奥にあり離合不可能な区間もあるため、初心者ドライバーには注意が必要となる。
○ | 護岸石組を併用した龍門瀑は豪壮である。枯滝石組の上段を三尊石組とし、下段は巨石により力強さを表現。そして山畔には多数の石組で構成された豪華な石組だ。 |
× | 特に見当たらない。 |