江戸時代の名家であった村山家の邸宅庭園。幕府の庭師であった九段仁右衛門や藤井友之進の指導によって改修。明治初期に「貞観堂」と命名され、昭和6年(1931)に貞観園として一般公開。昭和12年に国指定名勝。平成17年から4年間にわたる大修理が行われた。
貞観園の正門には堀があり重厚感ある苔付いた石垣で囲まれ、これから出会う庭園の期待感を一気に高めてくれる。受付を済ませ、座敷から目に飛び込んでくるのは苔と木々に囲まれたお庭である。まるで京都の奥座敷にあるような庭園だ。心字池に木橋「洗心梁」が架かり、石段を登っていくと茶室「環翠軒」へと誘われる。右手には石橋「聴泉橋」が架かっている。
石橋「聴泉橋」周辺は双眼鏡や望遠レンズがないと分かりにくいので、焦点距離90mm(35mm換算)で撮影。
ここの眺めを「古庭園の観賞と作法手法 著:吉田徳治」を参考にして解説。恵比須石、布袋石はその名前からして七福神から来ているのだろう。蓬莱石がある場合は鶴亀石組があることが多いが、当主に確認したところ貞観園には鶴亀石組はないとのこと。
さらに望遠撮影(焦点距離185mm)すると、滝石組は二段落としになっていることがわかる。滝の流れを美しく撮影するために、1/10秒のスローシャッターを利用。滝石組の手前には巨石の立石である不動石を据えている。これは滝添石であり、通常は滝石組と一体化して組まれ、滝の眺めを引き締める効果がある。こちらでは敢えて、手前に据えることで存在感を高めている。
貞観堂の二階にある小さな窓から庭園を見下ろせる。こちらは二階からの撮影ではないが、北側の池泉には枯流れで池泉へと繋がる意匠が面白い。池泉と接地する部分は滝石組のようになっている。
続いて、築山連山となっている庭園東部を眺める。
手前には出島、奥の築山連山には滝石組「苔香泉」を組んでいる。丸みを帯びた弱い石ではあるが、全体として力強さを感じさせる。また、滝上部には遠山石(えんざんせき)を据えているのが分かる。当主のお話では、かつては水が流れていたのこと。現在では涸れているため専門用語では涸滝石組となる。当初から水が流されていないのは枯滝石組となる。
築山連山の苔は見事である。築山に繋がる沢飛石を望遠撮影すると、
このようになっている。沢飛石の先には階段のようにみえるが、途中でとまっていることから、枯滝石組のような意匠にも見えてくる。
心字池にはハツ橋が架かる。八ッ橋とは橋の種類のひとつで、複数の板をジグザグにした形状を表す。由来は無量寿寺(愛知県知立市)のカキツバタの池にある八ツ橋。現在では、八枚とは限らずハナショウブの池などでよく見られる。
抱月楼(ほうげつろう)があり、小屋の中は風呂となっている。
当主のご厚意で受付側にある玄関「行の玄関」から抱月楼まで歩かせていただき、通常は撮影できないアングルで撮影した。ちなみに、平成17年から始まる大修理前はガイドと一緒に庭園内を回遊できたが、現在では室内からの観賞のみである。ただ年に数回実施される特別公開日には、庭屋一如研究会(ていおくいちにょ)の藤井氏によるガイドのもと園内を散策できる。日程は公式サイトなどで確認して欲しい。
ハツ橋の手前には切石の石橋も。新潟県では関川村の渡辺邸と双璧をなす名園だと感じた。
貞観園の案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 苔で覆われた築山連山と涸滝石組が美しい。週末でも30人ほどと混雑せず落ち着いて観賞できる名勝庭園。 |
× | 特に見当たらない。 |