徳島城の表御殿の庭園として上田宗箇(うえだそうこ)によって作庭。上田宗箇とは、安土桃山末期に武将であり、千利休と師弟関係をもつ茶人としても知られる。昭和16年(1941)に国指定名勝を受ける。
枯山水と池泉庭園によって構成された旧徳島城表御殿庭園は、千秋閣庭園とも呼ばれる。徳島の阿波は、紀州と並ぶ青石の名産であり、青石がふんだんに使われた明るい庭園だ。1枚目は山門や入口の写真を掲載しているが、見どころが多く1枚目から庭園を掲載。長さ10mもの青石の自然石が横たわり、龍のうろこのような表面だ。石橋は7:3のところで割れているが、奥にある切石とあわせると、亀石を挟んで3本の石橋を据えるという日本庭園における基本的な石橋の構成が成り立っている。(出典 「日本の10大庭園 著:重森千靑」)
石橋の右手は鶴島である。鶴島に垂直に伸びるイヌマキ(常緑針葉高木で庭園でよく使われる)の右手にみえる2石の巨石は、鶴の羽に見立てた羽石だろう。
青石の自然石は鶴島と亀島をつなぎ、その亀島が写真中央上段である。そして、1枚目の写真で説明した3本目の自然石が亀石から出島を繋げている。そして左奥には須弥山石組、右手前には枯滝石組がある。それぞれの写真を次に紹介していく。
鶴島から須弥山石組を撮影。護岸石組により急峻な渓谷を表現しており、山麓には蘇鉄を植樹している。須弥山とは、古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つ山であり、要は仏が住する清らかな世界・極楽浄土を強調している。
こちらが枯山水にある枯滝石組である。長石を垂直方向だけではなく、斜めにも据えている。本庭園は青石を斜めに組んでいるところがよく見られる。
枯山水と池泉庭園から向かう途中に、細長い立石を据えてあり、こちらは遠山を抽象的に表現した遠山石(えんざんせき)となる。
続いて池泉庭園へ。池泉の汀は強弱を付けた護岸石組となっており、桃山時代の庭園らしく力強さを感じさせる。そして、写真に赤ラインを引いているところに枯滝石組、★マークのところに舟石が見られる。次の写真で詳しく見ていこう。
築山の斜面を活かして枯滝石組を作っている。
豪華な護岸石組の手前には舟石がある。舟石とはその名の通り舟形の石のことであるが、不老不死の妙薬があるとされる蓬莱山へ向かう、もしくは蓬莱山から戻ってくる舟に見立てた石のことである。
中島に向かって沢飛石で繋がり、さらに青石の自然石による石橋で小さな中島へ続く、右へ左へと曲がりくねった苑路とすることで、散策時の目に映り込む景観に変化を持たせている。
先ほどの中島を池泉庭園北部から撮影。実に豪壮な護岸石組で、これだけでもひとつの庭園として成立する意匠である。
池泉庭園の頂部には枯滝石組がある。ここから池泉に向かって枯流れ、途中からは水が流れる渓谷へと続いている。
その渓谷は切り立った深い渓谷となり、その先には橋を高い位置に切石を架けている。(写真で赤ラインを引いています)深い渓谷と上部に架かる高い石橋は、まさしく上田宗箇(うえだ そうこ)が生み出した玉澗流と呼ばれる手法である。宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフとなっており、玉澗流の代表作は粉河寺庭園(和歌山)がある。
○ | 青石を贅沢に使った枯山水と池泉庭園。重厚感があり、どこから眺めても破綻しない美しさを保ち、見どころがこれでもかというほど詰まっている。また、入園料が大人50円と破格だ。町中心部にありながら、有料であるがいつでも訪問できる価格帯、ゆえに静寂さも保たれた見事庭園である。 |
× | 特に見当たらない。 |