内々神社
うつつじんじゃ
内津神社は、平安時代に作られた格式・延喜式(えんぎしき)に記載された由緒ある神社である。神社内の看板には、日本初の作庭家ともいわれる臨済宗の禅僧・夢窓疎石(むそう そせき)の作庭と伝わると表記されているが、庭園研究者の重森三玲や澤田天瑞は江戸初期としている。
社殿裏に急斜面を活かした地形の池泉回遊式庭園。池泉には中島を設け、3石の岩島がある。1つは中島の裏手にあり、別の写真で紹介。亀島のようにみえる中島は鶴島とされる。
鶴島の北側にある3段落ちの滝石組。
愛知県造園建設業協会の記事によると、滝石組の水落石(みずおちいし)の北部の石組が亀頭石があると紹介しているが、どれが亀頭石であるか私には分からない。また、写真上部中央の赤色の▼は遠山を抽象的に表現した遠山石(えんざんせき)である。水落石:滝水が伝う石
鶴島の北側に3つめの岩島がみえる。また写真右手の出島には、巨石の石組がある。
社殿の裏手に庭園がある。社殿から眺める庭園でないことは明確であり、また重森三玲によると神社に観賞用の古庭園はないという。そして庭園北側には江戸時代まで妙見寺があり、その書院裏庭として作庭されたものと推測している。なるほど、言われてみれば、神社にある江戸以前に作庭された観賞用の古庭園は見たことがないかもしれない。
鶴島の奥に(どこにあるか明確には分からないが、)亀石組がある。
池泉庭園にある池中立石は、鋭い立石で力強さを感じる。
池泉西部の巨石による石組。
庭園北部に向かうと、目を見張るよう様な岩山がある。神社に観賞用の古庭園がないといわれているなか、結果的に神社に付属する珍しい古庭園である。東海では三重県津市の北畠氏館跡庭園が、結果的に北畠神社に隣接した観賞用庭園として有名である。
○ | 力強い池中立石が美しく、また鶴島となる中島に木橋で渡れるのが面白い。 |
× | 草木の成長により苑路が歩きにくい。 |