上杉謙信の家臣であった山口家。明治時代には山口権三郎等によって日本石油会社(現在のENEOS)を設立。その時代に作庭された庭園が保存されている。山口庭園は山口育英奨学会によって公開されている。
googleマップで偶然みつけた日本庭園。ENEOS創業者のひとりである山口権三郎の邸宅庭園が公開されている。家屋は築後100年を経た昭和35年(1960)に解体され、建物の一部はENEOSの福利厚生施設として横浜指針小安く移築され平成10年(1998)頃まで使用していた。
土橋に向かって打たれた飛石が、やや小振りで小刻に打たれている。
築山に設けた滝石組。滝石組と護岸石組に使われている石には風合いがあり、本庭園での一番の見どころである。
滝石組は2組みあるが、雑草により見えにくくなっているのが惜しまれる。右手の滝石組は二段落としになっており、苑路を渡って近づいてみる。
するとこのようになっている。先ほどの写真では見えていないが、上段の滝石組があり、その流れを横断するように沢飛石を設けて、下段の滝石組へと流れていく。
左手の護岸にある大きめに板石はビューポイントなる礼拝石だろうか。小刻みに飛石を打つことで芝庭が単調にならなように工夫しているのだろう。
土橋に近くには洲浜風の意匠で出島を設けている。
平成24年(2012)に公益財団法人の認定を受け、公益事業の一環として庭園の整備、郷土資料館、そして郷土資料館に隣接した敷地に枯山水を造った。
大海に浮かぶ島々を表現したような枯山水。
長石、横石、伏せ石で構成された三尊石は、ひときわ存在感を放つ。
山口家の歴史が分かる敬山閣には、山口家の模型が展示されている。5ヶ月間かけて製作した模型は精巧であり見入ってしまう。
山口権三郎自身が20歳の時に設計した茅葺きニ階建ての家屋で、部屋数はなんと15部屋。池泉と家屋の位置関係などが模型からイメージできる。
○ | ENEOS創始者の邸宅は既に解体されているものの、精巧な模型により家屋と庭園の位置関係が把握できて良い。 |
× | 滝石組周辺の雑草により滝石組が弱まっている。 |