永福寺跡
ようふくじあと
1192年に鎌倉幕府を開いた源頼朝が、源義経らを供養するために同年に本堂を建立。岩手県平泉町の中尊寺や毛越寺などを模した壮大な寺で、鎌倉の三大寺院のひとつといわれる。庭園は京都から庭師を呼び寄せ作庭。室町初期(1405年)の火災で焼失。2007年から復元工事が行われ、2017年に基礎と池泉が復元され公開。
1枚目の写真は永福寺の再現予想CG(鎌倉市教育委員会作成の現地案内板を撮影)。源頼朝が建立した鎌倉の三大寺院といわれる規模がよく分かる。こちらの写真は園内にある展望台から撮影。寺院の基礎が再現されている。さて、巡っていこう
展望台から永福寺跡をズームアップ。右手に池泉に突き出した領域は「釣殿(つりどの)」と呼ばれる。釣殿は遊宴のための施設で、寺院建築に付随するのは大変珍しいとのこと。
池泉の水を美しく魅せる技法である「洲浜(すはま)」も再現されている。
庭園北側には谷間の流水を引き込んで作れた遣水(やりみず)が再現。遣水により自然主義的な風景を作り出していたと思われる。
遣水の上流には大きめの石組が添えられ、滝を演出していたのだろうか。
優雅な洲浜と池泉の曲線美。
池泉には反橋が架けられて、その先には二階建ての堂「二階堂」へと繋がる。二階堂の両側には薬師堂と阿弥陀仏堂が造られていた。イメージしやすいように、反り橋があったであろう場所に赤色の点線を描いた。
永福寺跡の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 基礎と池泉のみの復元とはいえ、鎌倉幕府が始まった1192年(現在では1185年説が有力)に造られた寺院庭園が見られるのは有り難い。 |
× | 現地案内板のCGと照らしあわせながら想像する庭園であるため、一般受けする庭園ではない。 |