穴太寺は文武天皇の勅願により飛鳥時代末期(705)に創建した天台宗寺院。穴太寺にある聖観音像は今昔物語の「身代わり観音」の伝説として記されている。庭園は江戸後期に作庭され、京都府指定名勝を受けている。
冬期は庭園拝観が休止になっているのを知らず2108年12月末に訪問。今回は事前に電話確認を行い11月末に訪問。どうも12月後半から3月上旬頃まで拝観休止になっているようだ。日本庭園史大系によれば、池泉護岸と書院の感覚が極めて狭くなっていが、これは江戸中期から後期にかけてみられる意匠とのこと。
府指定文化財の多宝塔をバックにした池泉観賞式庭園であり、南東部に大刈込みによる生垣を設け、築山には枯滝石組を設けている。
枯滝石組は三尊石の意匠であり、手前の岩島は水を左右に分ける水分石だ。
滝頂部の三尊石は写真に青マーカーで印をつけた。三尊石は横一文字に並び、中尊石は目立つものの脇侍石は弱まった感じになり、江戸後期以降の特徴とされる。また、中尊石は蓬莱山にも見立てられた蓬莱石を兼ねている。
庭園南西部は南東部と違い平地となっており、いくつかの見どころがあるので日本庭園史大系を参考に図解していく。
まずは亀出島。白石が亀頭石となり、その奥には中心石とみられる石を据えている。右手には自然石の石橋を架けているが、橋添石を置くことで安定感を生み出している。また後述するが洞窟石組らしき意匠も見え隠れたしている。
洞窟石組方向を撮影すると、護岸石組が美しいのが分かる。また舟付から出港する舟石がみられる。
蓬莱山から妙薬を持ち帰って戻っていく出舟の形式だ。
右奥が洞窟石組のような意匠にみえるが、詳細は分からない。
亀岡市を代表する日本庭園であり、毛氈に座りながらゆっくりとした時の流れを感じたい。
最後に穴太寺にある聖観音像が「身代わり観音」といわるようになった今昔物語集を紹介。かつてこの地域の役人が、仏師に依頼して聖観音像を造らせ、褒美に自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て射殺。しかしながら、仏師は健在であり、代わりに観音像の胸に矢が刺さっていたことから「身代わり観音」といわるようになる。
○ | 亀岡市では唯一の有料拝観の庭園だけあり、良く整備され見応えもある。特に亀出島周辺の護岸石組や舟石などの意匠が良かった。 |
× | 特に見当たらない。 |