安養寺は飛鳥時代に勅願寺として創建。安土桃山時代(1596)に宥慶上人によって現在地に移転して安養寺と称し、その後、空真上人によって真言宗に改宗された。境内の枯山水と池泉庭園は小堀遠州によって作庭されたと伝わる。毎年2月の第2土曜日には800年の歴史をもつ会陽(別名:はだか祭り)が行われることでも知られている。
事前に電話による拝観予約を行い拝観させて頂いた安養寺庭園。現地案内版を確認すると「機械警備が入っています。お庭拝観の方は、寺に申し出下さい」となっているため、法事などがなくお寺の方がいらっしゃれば拝観できる可能性もありそうです。まずは方丈裏庭から見ていく。
池泉庭園は山畔の斜面を活用した寺院庭園でよくみる形式であるが、巨石を積み上げ豪壮な石組である。
上部は亀の形をした蓬莱山石組となっており、頂部は三尊石風に組まれ、左側には本庭で主石ともいえる巨石の板石が見応えある。重森三玲によると「恐らくこの築山は亀島を兼用した蓬莱山石組であることが確認された」と解説している。
右方下部には枯滝石組がある。次に正面から滝石組を撮影して解説すると、
最下部池畔には横石を立てて、その上に水落石を蓋状に重ねている。これは名古屋城 三の丸庭園の枯滝石組の手法と同様である。(参考文献:日本庭園史大系)
池泉は方丈にそって東西に穿っており、切石の石橋を架けている。
つづいて方丈南庭へ。こちらには鶴島と亀島が向かい合っておかれた蓬莱枯山水の庭であったが、山門の改造にあたって鶴島が取り除かれてしまった。実に残念なことで建築時に小堀遠州によって作庭されたと伝わるものだと気づかなかったのだろうか。残された亀島は写実的で、頂部には中心石を置いている。
亀頭石は板石を用いて表現しており、方丈北庭の意匠と類似している。
横石の前後に亀脚石を置き、蓬莱式の亀甲石を横石状に立て今にも動き出しそうな見事な亀石組である。
方丈裏庭の東側に庫裏北庭として枯山水がある。円形風の枯池に出島を造り石橋を架けている。
枯池は護岸石組が組まれ、出島の根元には立石がある。
近づいて撮影すると、美しい形状をもつ立石であり品格を感じさせるものだ。
○ | 裏庭の亀の形をした蓬莱山石組、および南庭の亀石組といずれも豪壮で見応えのあるものだ。 |
× | 南庭の鶴島が取り除かれてしまったのが残念でならない。 |