旧ト蔵氏庭園
きゅうぼくらしていえん
江戸初期頃、製鉄で盛んだった奥出雲町の豪族であったト蔵家の庭園。関西から小堀遠州の弟子である庭師を招き、江戸時代元禄(1691)に作庭。
江戸後期から明治にかけて奥出雲では鉄の生産額のうち60%を占めていた一大生産地であった。その製鉄で豪族であったト蔵家(ぼくらけ)の庭園。現在は蕎麦屋「椿庵」の敷地であり、船通山を借景に取り入れた構想となっている。蕎麦屋の営業時間にかかわらず、庭園は24時間開放されおり有り難い。
池泉には切石による太鼓橋が架けられている。太鼓橋のそばにある石灯籠があるが、とても目立っている。日本庭園では石灯籠は主役になることはないが、主役になっているように感じてしまう。
太鼓橋を渡って反対側から眺めると、正面には築山がみえる。
石灯籠のある出島は亀島兼用の意匠となっている。東側(左手)に亀頭石、正面中央には富士形の中心石を兼ねた蓬莱石を据えている。亀島に相対する鶴島や鶴石組を判別することはできなかった。
池泉東部には三段落ちの滝石組があり、その上部には一群の立石がある。手前には水受石のようにみえる岩島があるが、これは水分石である。
角度を変えて撮影してみると水分石であることがわかる。水分石:水の水流を左右に分ける石
滝上にある立石は、鋭い意欲的な石である。
ト蔵庭園は、モダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲(しげもりみれい)のお孫さんである千靑氏(ちさを)と、若手職人と一緒により復元されたのこと。このような地道な活動で、江戸時代の庭園を気軽に拝見できる環境に感謝したい。
○ | 借景となる船通山が庭園の一部になるように計算された地割であり、奥行き感を感じる。 |
× | 石灯籠が庭園の主役のような存在感を出している。 |