室町時代から安土桃山初期にかけて北飛騨を治めていた武将・江馬氏。江馬氏城館跡は、昭和55年に国指定史跡を受ける。平成6年から発掘調査が行われ、平成19年(2007)に庭園と会所と主門が復元整備され江馬氏館跡公園として公開。平成29年(2017)に国指定名勝を受ける。庭園と会所を復元した室町時代の武家館としては唯一である。
最寄りICから1時間、周辺に他に庭園がなく足を伸ばしにくい庭園のひとつ。今回は富山の庭園めぐりと組み合わせて訪問してきた。気温35度越えの真夏日である。
室町後期に作庭された庭園を、発掘調査で掘り起こし復元しており、会所からの池泉観賞式庭園である。ただ、現在では池には水が溜まらない構造となっている。
庭園はL字型に広がり、角のエリアを撮影。
池泉の汀には洲浜を作り、池泉庭園であったことを偲ばせる、また石組を注意深く観てみると、三尊石が多く造られている。洲浜:水際を美しく魅せる表現
壁際には立石、横石、伏石による三尊石。
写真中央右側には4つの石による岩島だ。
東部の護岸石組と枯滝石組。会所手前側の護岸石組は高さを揃えて、川石を使っている。
枯滝石組は庭園の中心となる立石であり、水が流れているような岩肌が良い。
右手には護岸石組で囲まれた中島。そして館を区画する土塀を堺にして見事な借景へと連なる。一方、会所の手前側は直線的な護岸石組であることが、やや不自然さを感じる。
会所の「接客の間」から額縁庭園。会所とは、和歌や、茶の銘柄など当てる闘茶などを楽しみにながら接待などを行うための建物である。
また雨戸が上に開く蔀戸(しとみど)も注目したい。平安時代に貴族が住んでいた寝殿造りには、雨、風をしのぐために蔀戸(しとみど)がよく使われていた。他に庭園で蔀戸(しとみど)がみられるところしては、奈良市の平城京左京三条二坊 宮跡庭園が挙げられる。
○ | 当時の姿からかけ離れないように、調査では不明である築山の高さのため低めに抑え、植栽も不明のため排除しているのが良い。また雄大な山並みを借景として取り入れている雄大さも良い。 |
× | 特に見当たらない。 |