円満院は平安時代に創建された天台宗の門跡寺院(もんぜきじいん)。門跡とは、住職が皇室や公家によって受け継がれてきた寺院であり、全国で17ヶ所しかない。庭園は、公式サイトでは室町時代に相阿弥(そうあみ)によって作庭されたと記載されているが、現地での確認および文献によると江戸初期と推測されていた。
公式サイトでは、足利将軍家に仕えた絵師でもある作庭家・相阿弥(そうあみ)によって室町時代に作庭された庭園とあるが、「名園の名のみどころ(著書:河原武敏)」によると江戸初期の庭とされ、また現地で係の方に確認すると、同じく江戸初期といわれ、相阿弥の生きた時代が合わないとの説明を受ける。江戸初期に現在地に移転しているため、移転前の庭園が相阿弥(そうあみ)によるものだろうか?
さて、宸殿(しんでん)南側に広がる池泉庭園は「三井の名庭(みいのめいてい)」と名付けられた鶴亀蓬莱庭園がある。蓬莱とは不老不死の仙人が住むとされる蓬莱山のことで、長寿のシンボルが3つ揃っていることから、鶴亀蓬莱庭園とも呼ばれる。
まずは鶴島。両側に切石による反橋と平橋が架けられている。中島の2つの立石は鶴の羽に見立てた羽石であり、係の方の説明によると平橋は鶴の首に見立てた鶴首石(かくしゅせき)とのこと、
鶴首石を望遠レンズで撮影。橋添石は高い立石による立派なものであり、全体としての意匠が優れている。橋添石は室町時代は低い石が使われ、室町時代に高くなり、江戸時代にはそのうちの一石は非常に高い立石として据えられる例が多い。このような点からも室町時代よりも新しい時代の庭園と推測できる。
続いて亀島。丸みを帯びた石による護岸石組であり、亀島には刈込みを植樹。
亀島の奥、山畔部には巨石を据えている。これが蓬莱山に見立てた蓬莱石となる。汀のこの部分だけ、汀に沿って岩島が列を成しているのも面白い。蓬莱山に向かう舟が夜停泊している様子に見立てた夜泊石(よどまりいし)と捉えられるが、やや乱暴な推測か。夜泊石の理解を深めるには、山口県宇部市の宗隣寺 龍心庭の記事を参考にして欲しい。
亀島の右側を撮影。水際に石が組まれ、その造形に力強さを感じられる。
護摩堂から池泉庭園を見下ろすと池泉の形状が分かれり、写真右手にみえるのが亀島である。
宸殿(しんでん)と護摩堂を繋ぐ渡り廊下から撮影。
大津絵美術館近くにる細長い枯山水が作られている。
最後に額縁庭園を撮影。隣接する三井寺には多くの参拝客が賑わっていたが、こちらは静寂な空間につつまれている。駐車場も無料であり、ゆっくりと庭園見学できるのが嬉しい。
○ | 鶴島の豪華な集団石組は美しく、特に鶴首石を兼ねた石橋は「三井の名庭」のハイライトといえよう。 |
× | 新緑シーズンであると、石組が植栽に隠れ見えにくいと思われる。また護摩堂の南西に枯滝石組があるようだが、木々に阻まれ確認できない。 |