奈良時代(777年)に唐より来朝した和尚によって普済寺(ふさいじ)として創建。「龍心庭(竜心庭)」は、「日本庭園史体系 著:重森三玲」いよると、鎌倉時代の庭園と断定。江戸時代(1670年)に宇部の領主が、父の冥福を祈るため荒れていた普済寺の地として「宗隣寺」を再興。昭和43年(1968)に復元工事が行われ、昭和58年(1983)に国指定名勝を受ける。
本堂北側には築山池泉庭園「龍心庭(竜心庭)」があり、山口県最古の庭園であり室町時代に作庭されたといわれている。このような歴史ある庭園が山口宇部空港から車で15分程の距離にある。
宗隣寺庭園で注目すべきものは2つある。まずは立石を2列に配置した夜泊石(よどまりいし)。写真では分かりやすいように2本のラインを書き込んでいる。これは蓬莱へ向かう集団船(宝舟ともいう)が、夜のうちに船溜まりに停泊している姿を抽象的に表現したものといわれる。他には鹿苑寺庭園(金閣寺)や養翠園(和歌山)やなどで夜泊石をみられる。
もうひとつは「干潟様(ひがたよう)」。池畔に小石を敷いて、池の水位により干潟が見え隠れする潮の干満を表現。現存する干潟様は平泉の毛越寺と宗隣寺だけといわれ大変貴重なものである。このような作庭技術は、平安時代に編集された作庭記に記載されている。
干潟様の向かいには枯滝石組がみえる。中央上部の立石から三段に組まれている。
正面の丘陵には遠山石(えんざんせき)とおもわれる立石を確認できる。遠山石とは、遠山を抽象的に表現したもので、この庭の中心石にもなっている。分かりやすいように赤色で▲マークを記している。
干潟様と夜泊石をクローズアップ。
左の立石は、夜泊石の左先頭に配置された立石である。
池泉南側を眺める。護岸石組は高さが一律になるように配置され、池泉と苔庭を立体的になるようにみせている。
受付では、「欄干(らんかん)に足をいれて座って観賞してみてください。」といわれる。話を聞くだけでは意味が分からなかったが、なるほど廊下の手すりである欄干には一部空間が設けられている。
つまり、こういうスタイルで眺めるのである。なかなか気持ちイイ。
受付近くの坪庭を見下ろす。コンパクトながら品格のある坪庭である。
書院前を望む。砂庭と芝庭の境に敷石が敷かれている。
○ | 宗隣寺は庭園サイトを立ち上げる5年前ほどに訪問したことがある。当時は知識が無く美しい庭園という感覚だけであったが、ある程度の知識をつけて再訪すると、夜泊石や干潟様の全国的にも限られた意匠を眺められる貴重な庭園であることに感動。また欄干に足をいれ、リラックスして観賞できるスタイルもいい。 |
× | 庭園自体に×はない。ただ夜泊石と干潟様の詳しい説明が書かれたパンフレットや案内板がなく、その意匠の意図が伝わらず勿体ない。 |