御苦楽園
ごくらくえん
醸造家である水戸部弥作が失業対策をかねて昭和10年(1935)に作庭。その後、奥の庭が作庭された昭和58年(1983)に一般公開。
饒舌な園主に5分ほど庭園を説明していただき、その後自由に散策するスタイル。主園は「修養の庭」は、作庭当初はあまり植栽のない池泉庭園であったが、その後多くの植栽により現在の姿になった。日本庭園のセオリーから少々外れ自由に作庭していったとのこと。
園主の説明によると手前が亀島、奥が鶴島とのこと。
亀島の護岸はコンクリートらしき素材であり、まさに亀の形を模った意匠。亀島に載せられた石灯籠は、さすがにミスマッチといえよう。
亀島の隣にある鶴島。中心石には二石の立石が組まれ、左手には長寿のシンボルである松が植樹され全体として力強さを感じる。中心石の手間にある石灯籠がなければ文句無しだろう。中心石:鶴島や亀島などの中心部に置かれる石
鶴島の奥には蓬莱山がある。ここでは宝来山と表現しているが蓬莱山と考えてよいだろう。山寺の川石主体となった池泉庭園であり、築山には巨石が組まれ迫力ある。また、長命水と呼ばれる湧き水があり、1杯飲むと10年寿命が延びると説明された(笑)
昭和58年頃に作庭された奥の庭へ移動。遣り水が作れらた静かな空間である。
遣り水は池泉へと注ぎ込まれ、苔帯びた丸みがた石が美しい。
書院前へ移動。昭和5年に作庭された池泉庭園である。
ただ、メインの庭園同様にこちらも植栽が豊かすぎるように感じる。
書院前庭園の北側には枯滝石組と枯流れが作られている。写真が枯滝石組であり、
枯流れと繋がっている。多くの方が見過ごしてしまうポイントであるが、注目してもらいたい場所でもある。
御苦楽園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 石灯籠は不要だが鶴島は力強く見応えある。 |
× | 灯籠と植栽が多すぎる印象。作庭当初の写真も拝見したが、当初は石主体で現在よりも優美な姿であった。 |