花江茶亭は萩藩の毛利敬親(たかちか)が、三の丸にあった花江御殿に造った江戸末期の茶室である。その後。明治22年に現在地である指月公園に移築して一般公開された。敷地内には毛利家の重臣・梨羽家の別邸にあった茶室も同時期に指月公園へ移築されている。
古庭園好きには萩市では外せない庭園が花江茶亭である。花江茶亭と梨羽家茶室に囲まれた敷地に枯山水を造っている。一般的に茶室に付属した庭は露地と呼ぶが、本庭園では茶室は移築ということもあってか枯山水になっている。S字カーブの枯池になっており、出島に2ヶ所の橋を渡している。
主景となる出島を詳しく観察していこう。
まずで出島には薄い切石を渡して、築山は大小様々な石を組み合わせている。その全ての石が異なる形をしており、複雑で力強さを感じさせる築山に仕上がっている。写真中央の左側には三尊石があり、この三尊石を中心とした枯滝石組となっている。三尊石が分かりにくいので別角度から撮影してみると、、、
このようになっている。一見すると中央は化木のようにみえるが、れっきとした石である。あまりにも融合しているようにみえるので、裏側にまわって観察すると、、
このようになっている。確かに3つの立石で構成されており、正面から眺めると溶け合うように融合した三尊石になっている。本庭園での一番の見どころある石組だ。
築山の裏手から撮影。奥にみえるのが花江茶亭である。
花江茶亭は入母屋造り茅葺き建てで、六畳の茶室、水屋、控え室で構成されている。通常は内部を見学できないが、2023年実績ではGW期間中は花江茶亭の一部が特別公開されていた。
梨羽家茶室。お茶の作法の稽古が楽しめる花月楼形式の茶室であり、年末の城内煤払いの際、、藩主がこちらで休憩したことから別名「煤払いの茶室」とも呼ばれている。
帰りがけに築山麓に陰石のような石を発見したので、記事で紹介した三尊石(右手)と一緒に撮影。陰石とは女性器をイメージした石で、一般的には男性器をイメージした陽石とセットで組まれることが多く、あわせて陰陽石と呼ばれる。子孫反映を願った石組で大名庭園などではよくみられる。
陰石と思われる石。周辺で陽石を探したが見当たらなかった。
○ | 築山の三尊石がまるで融合したような石で組み合わさっている。正面と裏側を対比して鑑賞すると面白い。 |
× | 特に見当たらない。 |