室町時代(1436)に創建した本法寺は日蓮宗の本山である。庭園「巴の庭」は、安土桃山から江戸時代にかけて活躍した芸術家の本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)によるもの。本山:寺院の格式で総本山、大本山、本山、末寺となり、日蓮宗寺院は5000以上あり、本山以上は50ほどしかない。
本法寺には2ヶ所の枯山水があり、こちらがメインとなる江戸時代に作庭された「巴の庭」である。東南隅に枯滝石組を造り、本庭のハイライトとなる。庭内は散策できず大書院から枯滝石組は離れているため、双眼鏡や望遠レンズを持参することをお薦めしたい。
焦点距離130mm(35mm換算)で撮影。青石による立石で滝石とし、栗石により流れを表現。手前に置かれた縦縞模様の青石により、流れ落ちる様子を表現している。
そして、室町末期の繊細さを感じさせるような自然石による石橋と組み合わさって、華麗な枯滝を表現している。
枯滝石組の西側には「巴の築山③」と解説された築山がある。江戸時代に発行された「都林泉名勝図会」にも枯滝同様に描かれており、経年によって形は変わりつつあるが、当時の面影を残している。
大書院から枯滝石組が奥まったところにあり、離れているのが分かる。そして半円を2つ組み合わせた円形石と、切石による十角形の蓮池による「日」「蓮」を表現している。
半円を2つ組み合わせた円形石
光悦の蹲踞(つくばい)。蹲踞とは、身を清めるための手水鉢、夜の茶会で使う明かりを置く石、湯桶を置く石などを含めてたもので蹲踞と呼ぶ。詳しくは新潟県新発田市の清水園の記事を参考にしてほしい。
光悦の蹲踞(つくばい)には、キリスト像が彫られた織部灯籠(キリシタン灯籠)を置いている。
円形石と蓮池。
昭和47年(1972)の巴の庭修復事業に伴い作庭された「十の庭(つなしのにわ)」。9個の石と、見る人の心にもうひとつの石(意志)が存在することから「十の庭」と名付けられた。ちなみに、数字を1から9を数えるときに「ひとつ、ふたつ」と最後に「つ」がつくが、10は「つ」がつかないことより「十」を「つなし」と読ませている。「春夏冬」で「商い中(秋が無い)」と読ませるのと同じ洒落た名付け方だ。
巴の庭の案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 室町時代の書院風枯山水の影響と、安土桃山時代の華麗な意匠である枯滝石組が美しい。 |
× | 枯滝石組に近づいて見られない。そのため、双眼鏡や望遠レンズを持参したい。 |