曹洞宗寺院である浄居寺は、現地案内板によると日本初の作庭家ともいわれる禅僧・夢窓疎石(むそう そせき)が初めて開山した寺院である。出家は市川三郷町の宝寿院。庭園は疎石が29~31歳頃の鎌倉後期・南朝時代(1300年頃)に築庭したと伝わる。一方、日本庭園史大系(重森三玲/重森完途)では江戸初期、日本庭園鑑賞便覧(京都林泉協会)では桃山時代に作庭されたと記されている。日本庭園史大系を優先し江戸初期として表記。
常時開放されている浄居寺庭園は書院裏手(東側)に回り込むと見学でき、築山に沿って集団石組が造られている。
正面山畔(やまくろ)に2本の枯滝石組があり、流れ式の池に落とされている。分かりやすいように枯滝石組は青ラインで示している。青ラインの先にある枯池には、舟石のような岩島が据えられている。また滝上部左手の赤いマーカ部分は上段の池泉(枯池)である。、下段の枯滝石組の水落石は蓬莱山を兼ねており、奥には遠山石を据えている。写真右手の丸みを帯びた巨石は羽石であるが、荒廃しているため鶴石組としての意匠は周辺にない。
枯滝石組を上部から見下ろす。赤マーカが上段の池泉(枯池)である。二段構成の池泉は甲府市にある鎌倉時代に蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)が作庭したと伝えられる東光寺にも見られるものである。
二段落としの枯滝石組は上段と下段に分かれている。上段は緑色部分であり、上段の枯池とあわせて平成元年(1989)に発掘されたものである。下段は黄色部分であり三尊石風の枯滝石組である。
上段の枯滝石組。立石で水が落ちる様子に見立てた水落石を立てており(水の流れを青マーカを引いている)、その背後に山形の遠山石(緑のマーカ)を配している。
築山麓には流れ式の池があり、かつては水が流されていたとのこと。
全国でも珍しいと伝わる亀石組と洞窟石組の兼用手法である。「品」文字風の造形が洞窟石組であり、写真左の横長の石が亀頭石(きとうせき)となる。つまり洞窟石組が亀尾石(きびせき)となる。洞窟石組:蓬莱山には仙人が住む洞窟があるとされ、桃山時代には洞窟を模した庭園が多く造られている。同様の例としては、和歌山県岩出市の根来寺などでみられる。
浄居寺庭園の全景。手前が亀石組と洞窟石組の兼用手法で、奥には二段の枯滝石組と大変興味深い古庭園であった。
○ | 夢窓疎石が初めて開山した名刹。二段の池泉構造をもつ枯滝石組に、亀石組と洞窟石組の兼用手法と、どちらも全国でも数少ない作品がみられる名園。 |
× | 特に見当たらない |