根来寺は平安後期(1132)に創建した真義真言宗の総本山。紀州徳川家の別邸を移築した「名草御殿」に面する書院庭園は江戸時代に作庭され、小堀遠州の作庭と伝わる。昭和33(1958)に国指定名勝を受ける。
京奈和道・岩出根来ICからほど近いロケーションにある根来寺。紀州徳川家の別邸を移築した「名草御殿」に面したところに池泉蓬莱式庭園がある。
山畔を利用した池泉庭園には、滝石組、鶴島、亀島、夜泊石(よどまりいし)と見るべきポイントが多数ある。まずは、これらの位置関係を次に図解してみます。
赤エリアが滝石組、緑エリアが鶴島、青エリアが亀島、紫色のライン上に夜泊石が配されている。順に説明していこう。
まずは主景となる山畔を活かした三段落としの滝石組。同年8月に訪問された方の写真には滝には水が流されていたため枯滝石組ではなく、時期やタイミングによって状態が変わるのだろう。またここでは滝の上部に注目してもらいたい。
焦点距離300mmの望遠レンズで撮影すると、滝添石が内側に傾斜させた滝添石、そして橋には石橋が架けられていることから、紀の川市の粉河寺庭園と同じく、滝上部に石橋を渡す玉澗流(ぎょくかんりゅう)の手法が使われている。
滝石組の東部護岸石組には、長石により出島的な風景を醸し出している。このように根来寺庭園は複雑に入り組んだ池泉により美しい姿を生み出している。
続いて鶴石。かなり抽象的な表現だろうか、説明がないとまったく判別できない。一方、鶴島には気品ある自然石による石橋が架けられている。江戸時代は切石や厚みのある石が使われることが多いなか、繊細さを感じる庭園である。
鶴島から橋の架けられた先には亀島がある。亀島の左に注目してみると、、、
洞窟石組がみられる。これは蓬莱山には仙人が住む洞窟があるとされ、桃山時代には洞窟を模した庭園が多く造られている。上部は石橋、下部は渓谷風にしており、さらにこちらでは上部の石橋が亀頭石を兼ねているようにもみえる。
庭園西部を眺める。池泉は東部から南部にかけてL字型となる地割である。南部には天を突くような立石を配し、池中立石と呼ばれる。また、写真右上には山畔に遠山石風の巨石を据えている。
光明真言殿から庭園を眺めると、正面には枯滝石組があり池泉が南部へ向かって造られている。実に造形深く美しい池泉庭園である。
光明真言殿の西部には聖天池と呼ばれる池庭があり、根来寺創建当初の平安時代から残る池庭といわれている。
根来寺庭園の案内図
○ | 江戸時代初期に造られた庭園としては、滝石組、護岸石組、石橋などに繊細な美しさを感じる。 |
× | 特に見当たらない。 |