常照皇寺は室町時代(1363)に創建した臨済宗天龍寺派の寺院。南北朝時代の北朝初代・光厳上皇が開基し隠棲した。庭園は光厳上皇が作庭したと伝わるが、戦国時代に焼失。江戸時代に後水尾天皇により復興され、現在の庭園は室町時代の庭園を元にして、江戸末期に改修されたものとされる。
光厳上皇のお手植えと伝えられる樹齢650年の九重桜が有名な常照皇寺。京都市内にあるが京都から車で1時間30分ほど離れた場所にあり、紅葉シーズンでも混雑することがない庭園である。なお大原エリアから国道477号線で繋がっているが、標高700mの山道で、離合不可能な道が続くため遠回りでも国道162号線を北上して向かうルートを使って下さい。私は国道477号線で一苦労しました・・・
さて本庭園は方丈庭園となり、山畔には多くの石を配している。山畔は草が除去されており、棚田の縮景を眺めているような感じを受ける。
ちなみに図解すると、東西に二対の滝石組を設けている。右が主景となる上下二段の滝石組である。左は小さな滝石組であり、お寺の方によるとかつては水が流れていたが、現在は涸れているとのこと。つまり涸滝石組だ。
上下二段の滝石組。上段は山畔の奥深くから導かれ望遠レンズで撮影してみると、上部の黒色の空間に水落石があるようだ。下段は優美な石組で、下部には自然石による石橋を渡している。草木が綺麗に除去されることで、滝石組の魅力が良く伝わってくる。
左側の滝石組と池泉は水路で繋がっていることが分かる。
滝石組を望遠レンズで撮影すると、滝石組は伝い落ちの手法で、流れを伝って池泉に導かれていることがわかる。
開山堂「怡雲庵(いうんあん)」から池泉西部を望む。
対になった出島を薄い板橋で繋ぎ、正面には当初は三尊石だったと思われる石組が残る。
出島を望遠レンズで撮影。板橋は木橋にも見えるが、これほどの薄い板橋であれば台風で飛ばされるはず。苔付きと風合いからして、薄い石橋とみるのが適切だろう。
渡り廊下からの眺め。
書院横には古風な立石手法の石組と、年代ものと思われる石灯籠がある。
方丈から額縁庭園を撮影。
勅使門の辺りには池泉がある。季節柄落ち葉は多いが護岸などをみると、整備されていることがわかる。
こちらも庭園の装いとなっており、滝石組のような集団石組がみられる。境内全体でみると上下二段の庭園をもつ寺院ともいえるだろう。
○ | 上下二段の滝石組が優美で美しい。また草木が除去され石が見やすくなっているのも良い。 |
× | 特に見当たらない。 |