可月亭庭園の原型は鎌倉時代から安土桃山時代(1189-1589)に、家老下屋敷として建設されたとされ、江戸時代に作庭家でもあり絵師でもあった・目黒浄定(めぐろじょうてい)によって改庭される。本敷地は現在でも個人所有であるが、クラウドファンディングにより土蔵や客座敷は美術館として開放し、カフェも設けて「庭園美術館」として2018年に一般公開される。
可月亭庭園は、御薬園(会津松平氏庭園)、非公開で宅地化問題にさらされている攬勝亭(らんしょうてい)と並んで会津3庭園とも言われる。
会津藩5代藩・松平公が江戸幕府から庭師・目黒浄定(めぐろじょうてい)を呼んで御薬園(会津松平氏庭園)を築庭した際、可月亭も一緒に改庭したと伝わる。ちなみに目黒浄定は小堀遠州の弟子でもある。それでは庭園の解説に進もう、正面には2つの枯流れ、左手には出島を造っている。
まずは正面の枯流れを撮影。栗石を敷き、奥には遠山石のような石を据えることで、流れに遠近感を生み出している。
右側にも枯流れがあり、奥には滝石組のような意匠がみれる。
出島には切石橋を架けている。切石橋は江戸時代から使われるようになった技法である。
飛石の先に庭園のビューポイントなる礼拝石(らいはいせき)を据えており、池泉の護岸石組は横石や伏石で低く組んでいる。
池泉西部にも出島をつくり、丸みのある巨石などを使いつつも力強さを生み出している。
石灯籠と先ほどの切石橋。切り石橋は僅かに山形になっている。
枯流れには僅かに水が流れて、池泉に注ぎ込まれている。
大小2つの築山と心字池を配した山水庭となっており。池泉の形状が複雑であるが故に、見る方向によって景が変化していく楽しみがある。
カフェは庭園料金だけで入室できるためお邪魔する。2室あるが取材翌年の2020年にはふすまを外して、1室の空間に模様替えしていることがFacebookで案内されていた。これで、より開放感ある額縁庭園を楽しめるようになっただろう。また、カフェだけの利用時は庭園料金は不要となり、地元の方に嬉しい配慮となっている。
80万円のクラウドファンディングで、一般公開までたどり着いたということは、庭園の整備は日常的に行われ、カフェや土蔵の改装だけで実現したのだろうか。このような取り組みを、会津3庭園で存続問題になっている攬勝亭(らんしょうてい)にも適応して救えることを願いたい。
○ | 池泉の形状が複雑であり、出島や枯流れにより単調ではない美しい景を生み出す地割となっている。 |
× | 特に見当たらない。 |