勧修寺
かじゅうじ
勧修寺は後醍醐天皇の母方の祖父の父親・宮道弥益(みやじいやます)の邸宅跡に、平安時代(900)に創建された真言宗山階派の大本山の寺院である。庭園「氷室園」は平安時代に作庭されたものであり、京都市指定名勝になっている。また書院の南庭には江戸中期の枯山水がある。
勧修寺の氷室園は平安時代前期に作庭された池泉舟遊式庭園である。「推賞日本の名園(著:京都林泉協会)」によれば、多島蓬莱庭園とされ、各島の配置は平安期の配島形式をよく示しているとのこと。当時は池泉北部に殿舎があり、氷室池には3つの島を設け、写真中央より右寄りは緑鴨州、左寄りは集仙島、写真には写っていないが集仙島の奥には方壷島がある。
緑鴨州と観音堂。
緑鴨州は北側のみに護岸石組があるが、当初からこのようであったかは不明である。
平安時代前期に造られた翠微滝(すいびのたき)は、現在では枯滝石組となり、かつ大幅な改造により当時の面影は見られない。
氷室園の散策はこのような警告があったが、通行は可能である。ただ足場が悪いところもあるので注意が必要である。
書院の南庭は江戸時代中期に作庭されたとされる枯山水がある、こちらには、古くから庭園などに植栽されるヒノキ科の「ハイビャクシン」が枝を広げている。
ハイビャクシンのなかに、水戸光圀から寄進されたと伝わる勧修寺型灯籠がある。
勧修寺型灯籠は雪見型灯籠をアレンジして創作されたものである。
石組がほぼない勧修寺庭園に、珍しく三尊石が残されていた。
勧修寺の案内図。当時の様子は「今昔都名所図会 4 (洛南) 1992年」の43ページにイラストで記載されており、国立国会図書館デジタルコレクションのサービスを利用することでネット閲覧できる。 [ 案内図を拡大する ]
| ○ | 平安期の配島形式をよく示している多島蓬莱庭園の様子を垣間見れる貴重な庭園である。 |
| × | 作庭後の改造や、荒廃により当時の面影が一部失われているのは残念なところである。 |