1676年。加賀藩の前田綱紀(つなのり)が、ここに別荘を建築したのが礎。その後、江戸時代の大名・松平定信(1822)にて、宏大(こうだい:広さ)、幽邃(ゆうすい:静粛さ)、人力(じんりょく:人の手が加わる)、蒼古(そうこ:古びた深みが)、水泉(すいせん:池や谷)、眺望の6つの優れた景観をもつことより「兼六園」と命名。2009年にはミシュラン観光ガイドの3つ星獲得。
定番の構図である2本足の「徽軫灯籠(ことじ灯籠)」と「霞ヶ池」。多くの観光客で賑わうポイントである。琴の弦を支える琴柱に似ることから「ことじ灯籠」と呼ばれ、灯籠の脚は元は同じ長さであったが、片方の足が折れてしまいバランスを取るために短いほうの足は石組で支えられている。また「ことじ灯籠」の奥には 池の上に立つ水亭「内橋亭」があり、こちらも兼六園の見るべきポイントである。
霞ヶ池にある江戸末期(1860年代)に造られた蓬莱島。蓬莱島とは不老不死の仙人が住み、その妙薬があるとされる伝説上の山である。現代のように長寿でなかった時代では、長寿を願い日本庭園に造られることが多い。また、蓬莱島は亀の形に似せてあることから、亀甲島とも呼ばれる。
蓬莱島の南端にはひときわ目を惹く立石を据え、これは亀の頭に見立てた亀頭石(きとうせき)である。地盤のぬかるみで2018年に一度倒れたこともある。亀頭石の左側にはある集団石組も情緒深いが、肉眼では確認しにくい。
11枚の金沢近郊で産出される戸室石(とむろいし)で造られた石橋は、雁(かり)の列が飛んでいく様に見えることから雁行橋(がんこうばし)と名付けられた。また石の形が亀の甲に似ていることから「亀甲橋」とも呼ばれ、雁行橋を渡ると長生きすると言われている。先ほどの蓬莱山同様に長寿のシンボルがここでもみられる。
雁行橋(がんこうばし)を横から眺める。この曲水は兼六園南部にある山崎山から繋がり、霞ヶ池へと注ぎ込まれる。曲水:曲がりくねった水の流れ
雁行橋の流れをのぼっていくと、すぐ隣に七福神山があり江戸後期(1822年)に造られた。曲水に架かる反り橋も戸室石(とむろいし)によるもので雪見橋と呼ばれる。
七福神山なので、七福神に見立てた石がある。これはN氏の金沢ぶらり散歩日記のイラストを参考に解説すると、左から「恵比須」「大黒天」「寿老人」「福禄寿」「布袋」「毘沙門天」「弁財天」となる。毘沙門天は石塔が毘沙門天、左の石が毘沙門天の兜。弁財天は右から「頭」「弁財天がもつ琵琶」「裾」に見立てている。ちなみに七福神に見立てた石がある庭園では、松島にある円通院がある。
曲水の景が美しいポイント。
瓢池(ひさごいけ)へ移動。池の中州にある6層の海石塔(かいせきとう)越しに、翠滝(みどりたき)を望む。海石塔は豊臣秀吉から贈られたという説もある。
落差6.6mの兼六園最大の滝石組である翠滝(みどりたき)を撮影。江戸中期(1774年)に造られ、滝の轟音と、滝壺から瓢池(ひさごいけ)へ静かに流れ込む対比が良い。
日本最古の噴水とされ、約200年前に城中に水を引くために霞ヶ池からの落差3.9mの落差を活かした自噴である。
長さ6mの黄門橋。黄門橋は長さ6m、幅1m、厚さ43cmの戸室石の1枚石である。
最後に時雨亭へ。混雑したシーズンでも有料となる茶屋は静かであり、かつ額縁庭園も楽しめる。また、雪国らしく土縁(どえん)もみられるのも面白い。300円ほどで利用できるため、ぜひ入室して欲しいところだ。土縁:土足の縁側であり、サンルーフ的な空間で雪の進入を防ぐ役割をもつ。
兼六園の案内図(パンフレットより引用)。案内図に赤色の★マークが本記事で紹介したポイント。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 兼六園のシンボルでもある「ことじ灯籠」や噴水に集まるが、園内を流れる曲水、雁行橋、七福神山など多くの観光客があまり足を止めないポイントに魅力が詰まっている。案内図に赤色の★マークが本記事で紹介したポイントであるので参考にして欲しい。 |
× | 観光客が多く、静寂さは感じにくい。静寂さを求めるのであれば、無料入園時間帯の早朝入園や、有料の時雨亭を利用しよう。 |