円通院は臨済宗妙心寺派の寺院である。江戸前期(1600年頃)に幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州(こぼり えんしゅう)によって作庭されたと伝わる「遠州の庭」や、石庭などがみられる。
日本三景の松島、平安時代に創建された瑞巌寺(ずいがんじ)に隣接した円通院には、「遠州の庭」や「バラの庭」など4つの庭園がある。瑞巌寺を参拝した後の立ち寄り寺院でもあり、平日でも観光客で賑わいをみせていた。山門を抜けるとすぐに石庭「天の庭」が広がる。私としては円通院のハイライトだと思うぐらい美しい。
石庭「天の庭」は白砂で松島湾、岩島で実在する七福神の島を見立てている。七福神を簡単に解説すると、打ち出の小槌をもつ神様「大黒天」、七福神唯一の日本の神様「恵比寿」、実在した中国の禅僧「布袋尊(ほていそん)」、仏教を守護する四天王の「毘沙門天」、七福神唯一の女性神「弁財天」、鶴を従えた「福禄寿(ふくろくじん)」、長寿を授ける「寿老人(じゅろうじん)」となる。
左から弁財天、福禄寿(2石組)、寿老人、そして一番大きな石が毘沙門天となる。
恵比寿越しに大海に流れ込む大河を白砂で表現している。苔築山は松島周辺の山並みを表現。ちなみに七福神に見立てた石がある庭園では、日本三名園の兼六園が有名である。
品の良い石橋。石に置かれた球石はこの先立ち位置禁止を示す結界を表しているもので、日本庭園でよく見られるサインである。
先ほどの石橋は「天の庭」と、写真の「地の庭」を結ぶかけ橋。敷石は生まれたままの割り肌、研磨した石など三種類に分かれ、人生の成長をあわらした石庭となっている。
休憩所の丸窓から「禅林瞑想の庭」を望む。
続いて、池泉観賞式庭園「遠州の庭」へ移動。伊達藩江戸屋敷にあった幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州(こぼり えんしゅう)が作庭した庭を移設したといわれる。
「遠州の庭」には出島が作られ護岸石組は弱い。植栽により出島のシルエットが隠れてしまっているのが残念である。
築山にはいくつかの石を据えており、最上段の石は遠山を抽象的に表現した遠山石だろうか。
本堂から額縁庭園を撮影。
本堂西側には人が訪れないような奥深い自然の地である深山幽谷(しんざんゆうこく)のなかに、仏の姿を表現した滝石組となっている。
伊達政宗の孫となる光宗(みつむね)を祀った三慧殿(さんけいでん)。石庭は近代庭園ながらも東北では見応えある枯山水であった。紅葉の時期や、バラ寺とも呼ばれる円通院だけに開花時期にも訪れてもたい。
○ | 松島湾を見立てた石庭「天の庭」が美しい。 |
× | 「遠州の庭」の出島が植栽により際だっていない。 |