極楽寺は室町時代に金山明昶(みょうちょう)にて開山された臨済宗大徳寺派である。江戸時代には沢庵宗彭(たくあんそうほう)によって中興。境内には清閑庭と名付けられた枯山水が昭和40年頃に作庭された。
「みんなで選ぶ 温泉大賞」でも毎年上位に受賞する城崎温泉には、本格的な枯山水をもつ寺院がある。寺院を中興した沢庵宗彭(たくあんほうそう)は、「沢庵(タクアン)漬け」を考案したと伝わる沢庵和尚であり、豊岡市には沢庵和尚によって中興した宗鏡寺には、この地方で最大級の庭園を見学できる。
城崎の山並みを借景した境内には、白砂で大海、築山で島を模している。
こちらの築山は頂部に石を置き、その外側に同心円状に石を並べている。推測だが本堂に向かっている石が亀頭石、その反対側にある石を亀尾石とした亀石組のようにもみえる。
亀石組を推測すると鶴石組を探したくなる。写真中央の石組や写真右奥にある石組などが鶴石組と推測してみる。
亀石組と推測した石組を亀頭石側から撮影。
本堂にあがり撮影。
本堂手前の枯山水。案内板には枯山水「清閑庭」は七五三の石組との説明されている。住職に確認すると、「作庭当初はサツキが7本、5本、3本として構成されていたが、現在はサツキは別の場所に寄せている」とのことだが、説明板には「石組」となっており辻褄が合わない。私はやはり、こちらの石組が五三の石組と思われるので、次の写真で図解してみる。
中央の巨石を中心とした五石組とすると、写真に印を付けたように左手が三石組。その特に少し離れた感じで七石組となるのだろう。七石組はこのような配置に違和感を覚える方もいると思うが、例えば興願寺(香川県高松市)七五三の石組は直線状に配列している。
五石組。案内板には「鞍馬の赤石、白川の白砂また吉野の青石を配した枯山水の石庭」と表記されている。この解説からすると、こちらは鞍馬の赤石だろう。
本堂東側の狭いスペースにも、美しい曲線を設けた野筋に三尊石風の石組を配している。
案内板には「蓬莱の庭」という表記もあるため、奥の立石が蓬莱山を模した蓬莱石だろうか。ちなみに蓬莱山とは不老不死の妙薬があるとされる中国の伝説上の山であり、このような蓬莱式庭園は日本各地でみられる。
この写真をみて「あ!」と気づく方は庭園通だろう。銀閣寺型手水鉢であり袈裟型の変形で江戸末期から明治初期に作られたといわれ、手水鉢でも独特の意匠をもつ。オリジナルの慈照寺(銀閣寺)の記事と見比べてほしい。
極楽寺の南側道路を挟んだところに滝石組が造られ、山から清水が湧き出ている。この清水が「独鈷水」と呼ばれており城崎温泉のはじまりとされている。詳細は観光協会のサイトの記事を引用
「道智上人が病気の人々を救うため、一千日の間、八曼陀羅経(はちまんだらきょう)というお経を唱え続けた末、満願し湧き出した霊湯が”まんだら湯”。これが城崎温泉のはじまりとされています。道智上人が、この”行”を続けていたときに手にされていたのが独鈷で、この独鈷で壁をつついて得られた清水なので「独鈷水」と呼ばれるようになりました。」引用元:きのさき温泉観光協会公式サイト
○ | 曲線を多用した豊かな枯山水。迫力ある七五三の石組を鑑賞でき、特に五石組を中心とする巨石は豪壮で美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |